ダブルケアの体験を語る野木健佑さん=西宮市内

ダブルケアの体験を語る野木健佑さん=西宮市内

 今月は、育児と介護が重なる状態などを示す「ダブルケア」がテーマです。指定難病の母親のケアと長女の子育てに、働きながら向き合う西宮市の野木健佑さん(36)に話を聞きました。周囲の支援でケアを両立させつつ、同世代に理解されにくい悩みや葛藤を感じることもあるそうです。昨年末に「ダブルケア兵庫」という団体をつくり、交流サイト(SNS)などで情報発信に取り組んでいます。

 -病気の母親のケアを担っている。

 「10年前に当時50代だった母が、筋肉が動かなくなるALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されました。母の症状は次第に進行。日中はヘルパーさんに来てもらい、実家の父や妹とトイレや食事、歯磨きなどのケアを分担しました。20代後半だった私は結婚して同じ市内に妻と住んでいて、一時期は週2回以上は仕事後に実家に泊まり、夜間から翌朝までケアを担いました」

 「思いがけない介護の始まりでしたが、自分なりに一生懸命に向き合ってきました。母はその後、夜間に重度訪問介護も受けることができるようになり、私は介護体制づくりなど次第にマネジメント的な部分を中心に担うようになりました。ただ、2018年に第1子の妊娠が分かったときは、この状態で子育てもできるのか悩みました」

 -ダブルケアの状態に。

 「19年に長女が誕生。育児休暇を取ってくれた妻と一緒に、ミルクや入浴などの子育てに向き合いました。一方で母の介護では父が夜勤で不在にする日があり、出産の1、2カ月後から再び夜間に通うようになりました。産後間もない妻には負担をかけてしまったと思います」

 「子育ては、私の場合は親に頼れません。介護と同時にこなしているとそれぞれにやるべきことや心配事が次々と重なり、精神的につらくなることも。夫婦とも忙しくなった時期、娘の保育所で相談をしたら所長さんが私たちを案じる言葉をかけてくれ、涙が止まらなくなりました。『介護も頑張っている。保育所に預けている間は心配しないで』と。自分を認められ、しっかり頼ろうと気持ちを切り替えられました」

 -周囲の支えが力に。

 「そうです。そして、もやもやとした思いを抱えていたころに『ダブルケア』という言葉を知ったことも重要でした。ネットで調べたら自分も定義にしっかり当てはまった。内閣府の調査では全国に約25万人も当事者がいる、と」

 「実は20代から介護に取り組む中で、周りの同世代と話題が合わないという悩みもありました。大阪のダブルケアの当事者会に参加すると、気持ちをはき出すと同時に学びが多くて驚きました。自分は支援者に恵まれているケースだと思っていますが、男性ならではの悩みやマネジメント的な介護の関わり方についても『ケアは十人十色の世界やから』と言われ、ほっとした気持ちになったんです」

 -それが「ダブルケア兵庫」につながった。

 「地元にも場がほしい。まず『ダブルケア』の言葉を広めようと、インスタグラムなどの発信、オンライン交流会を行っています。当事者や支援者だけでなく、周囲がダブルケアを知って寄り添えるように…。高齢化で介護が身近な日本だからこそ、理解しあえる社会になればいいなと思います」(聞き手・岩崎昂志)