■批判より、前向きな対話を
今月は「異文化」をテーマに、中米グアテマラ出身で、小学生で来日したウィリーさん(38)=神戸市=に話を聞きました。初めは日本語を全く話せず、異なる文化に驚き、戸惑ったことも。それでも親身になってくれた家族や友人、担当教諭の支えが現在へとつながっているそうです。
-小学4年生で大阪へ。
「日本人の父と暮らすことになり、母と大阪市に来ました。もともとグアテマラのアンティグアという都市で生まれました。学校は昼で授業が終わり、昼食は家に帰ってから母や親戚、家主など9人ほどで食べます。仕事をしている母も帰ってきて、夕食に当たる時間が昼食でした」
「だから自分たちで配膳する日本の給食には驚きました。あとは休み時間。グアテマラは午前中で終わる分、授業の合間の時間がほとんどないんです。日本の休み時間は新鮮でした」
-日本語の習得をはじめ、異なる文化に慣れるのは大変だったのでは。
「先生も父も、私が日本に慣れるよう配慮してくれていました。例えば転校初日、30人ほどのクラスメートが順番に握手してくれました。『歓迎してくれた』とうれしくなりました」
「日本語は朝のホームルームの前と放課後に1時間ずつ、それに自宅で父と毎日1時間以上勉強して、3カ月くらいで話せるようになりました。ただ、自宅の会話は絶対に敬語。すぐに関西弁は学んだけれど、父は社会に出た時に恥ずかしくないよう、礼儀作法を教えたかったんだと思います。『家族なのに、なんでかしこまらなあかんの』って思ったこともありました」
「食卓には食事以外の物を置かないとか、箸を白米に斜めに突き立てた時は怒られました。今、マナーなどの面で不自由することなく過ごせるのは、父の厳しさと愛情のおかげです」
「中学ではラグビー部に入りました。顧問の先生が厳しかったけれど、それも良い思い出です。高校2年の時にカナダへ語学留学に行きましたが、もう日本人の舌になっていました。カナダの食事には、だしのうまみが感じられませんでしたね。みそ汁があるって幸せだと気付きました」
-その後アルゼンチンでの生活を経て、34歳で再来日した。
「今でも『日本、難しいな』と感じることはあります。南米では一回会ったら友だちで、率直に意見することが相手への思いやりですが、日本は一歩ずつ距離を縮め、相手に気を使って遠回しに伝える。単刀直入に話して失敗した経験は一度や二度ではありません」
「でも、こんな見た目でも直接『外国人だから』と言われたことはないんです。だから交流サイト(SNS)で『外国人は日本に来るな』とか『消えろ』という言葉を見ると残念です」
「分断をあおり、視線を集めようとする空気を感じます。確かに日本で暮らす上ではやってはいけないことは、来日した外国人に伝える必要はあると思います。ただ文化が違えば、価値観が合わないのも当然です。批判だけでなく、相手を尊重して前向きな対話ができれば、より良い社会がつくれると信じています」
(聞き手・千葉翔大)
























