竹器作りに精を出す植田一彦さん(2006年ごろ撮影、三田市提供)
竹器作りに精を出す植田一彦さん(2006年ごろ撮影、三田市提供)

 2025年夏、県の伝統的工芸品に三田青磁が指定された。地元でも改めて存在が注目を集めたが、一方、三田青磁に先立ち、1997年に同じく指定を受けた鈴鹿竹器は、唯一の伝承者だった植田一彦(竹仁斎)さんが、2023年に86歳で亡くなり、事実上途絶えた状態にある。生活の中に息づいてきた工芸品だが、長く守り続ける難しさが課題となっている。(黒田耕司)

 三田市史などによると、鈴鹿竹器は、江戸時代中期に始まったとされる。鈴鹿にあった良質な竹を求め、四国から訪れた職人を通じて技術が伝わったとする説もあるが、詳細は分かっていない。明治時代までは、野菜を洗う籠、みそこしなど、日用品が中心だった。

 それが大正時代、米国への市場が開拓されて花籠など、輸出用の装飾品が盛んに作られるようになった。鈴鹿を含む高平地区周辺の農家にとって貴重な収入源となり、重要な産業に成長。ただ、昭和50年ごろには、ビニールなどの樹脂製品や、安価な中国製品に押された。

 廃業が相次ぐ中、最後まで鈴鹿の竹細工を守ったのが、植田さんだった。竹器の名を高めようと、国の一級竹工芸技能士も取得するなど、研さんを積んだ。また、市などによると、後継者を育てようと教室も開催していたという。市側も、人材育成を目的とした助成を行うなど後押しをしていたが、植田さんが亡くなったことで、継承は難しくなった。

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 後継者の問題は、ほかの工芸品にも当てはまる。三田青磁も、戦前に途絶えた歴史を陶芸家の伊藤瑞宝さんが復活させた。同様に県指定伝統的工芸品の杉原紙や赤穂雲火焼なども、一度途絶えながら、再興された歴史を持つ。ただ、三田青磁も伊藤さんが唯一で、県によると、ほかの指定工芸品にも、現在の伝承者が1人のみのものもあるという。

 県の担当者は「県が工芸品を指定するのも、優れた伝統的技術を守る機運を高めるため。ただ、生活を支えるなりわいにまでしてくれる後継者が見つかりにくいのも現実だ」とする。

 生前、神戸新聞の取材に「もっと若い人も興味を持ってくれるとうれしい」と語っていた植田さん。作り手が途絶えた現在、市が所蔵する作品は、高平ふるさと交流センター(布木)に展示される十数点など、限られているという。