西播

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「播州犬寺」こと法楽寺の新弘正住職と、愛犬の柴犬「カンタ」=神河町中村
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「播州犬寺」こと法楽寺の新弘正住職と、愛犬の柴犬「カンタ」=神河町中村
法楽寺にある白犬の像
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法楽寺にある白犬の像
法楽寺にある黒犬の像
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法楽寺にある黒犬の像
神戸新聞NEXT
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 「忠犬」と聞けば、真っ先に思い浮かぶのは「ハチ公」(1923~35年)だろう。帰らぬ飼い主をけなげに待ち続けた秋田犬で、東京・渋谷にある銅像は、あまりにも有名だ。一方、兵庫県神河町も負けてはいない。ハチ公からさかのぼること約1300年前に“元祖”がいたという。地元で語り継がれる忠犬伝説とは-。(井上太郎)

 JR播但線の寺前駅から東へ車で約15分。銀の馬車道の宿場町として栄えた中村・粟賀町地区の街道を抜け、越知川を渡った山の中腹に、「法楽寺」という高野山真言宗の寺院がある。本堂への階段を上ると、左右から一対の犬の石像が向かい合っていた。

 真っすぐで鋭いまなざし。よく見ると白犬の傍らには弓が置かれ、黒犬は矢をくわえている。新弘正(あらたこうしょう)住職(57)が教えてくれた。

 「絶体絶命の主人を勇敢に救った2匹の忠犬を供養するために、この寺が建てられたのです」。別名を、播州犬寺という。

    ◇

 ときは7世紀、皇極(こうぎょく)天皇の頃、播磨と但馬の国境に「枚夫(まいふ)長者」という豪族がいた。妻との間に子はなく、2匹の愛犬をわが子のようにかわいがっていた。

 戦を終え、がい旋した枚夫は、留守を預かった家来から耳打ちされた。「獲物がたくさんいる狩り場を見つけました」

 喜んだ枚夫が翌日、山に入ると、先を歩く家来が突然姿を消した。「かかったな」。見上げると、岩の上からこちらに向かって、家来が弓を引いている。

 枚夫が戦場を駆け巡っていた頃、家来は枚夫の妻と密通していたという。だまされたことを悟った枚夫は「家来に殺されるなど恥辱。わしが討たれたら残さず屍(しかばね)を食ろうてくれ」。連れてきた2匹の愛犬に、最後の願いを託した。

 すると、おとなしく聞いていた愛犬が突如家来に飛びかかる。1匹は弓に、もう1匹はのどにかみつき、家来は慌てて逃げ出した。

 感激した枚夫は「財産は全てこの2匹のために使う」と宣言。数年後に相次いで死んでしまったが、立派な伽藍(がらん)を建てて弔った。

    ◇

 この物語は主に、鎌倉時代の仏教史書「元亨釈書(げんこうしゃくしょ)」に由来する。江戸期には、同様の物語が「犬寺縁起絵巻」として描かれた。古代や中世の説話に詳しい学習院女子大の徳田和夫名誉教授(72)によると、同絵巻は都市の富裕層が京都の絵草紙屋に発注したものとみられ、この忠犬伝説が当時から広く知られていたことがうかがえるという。

 播磨の地誌「峯相記」によると、もとの法楽寺は火災で焼け、今の場所に移ったとされる。犬の像は明治期に檀信徒が寄進した。

 元亨釈書や絵巻に現れるのは2匹とも黒犬なので、像の1匹が白い理由は新住職にも分からないが、「犬のお寺として親しまれ、ワンちゃんを連れてお参りされる方も多いですよ」。そう話す新住職の足元に柴犬が寄ってきて座った。

 「うちの子です。私と妻も、愛犬家でして」

【法楽寺】大化年間(645~650年)に開山。元亨釈書に記載の「播磨犬寺」が火災で焼け、現在地に移ったと伝わる。本堂と春日社は県指定文化財。2022年には本尊の「十一面千手観世音菩薩(ぼさつ)像」が33年ぶりに開帳される。同寺TEL0790・32・0164

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