兵庫県上郡町は町域の4分の3を森林が占め、古くから山上集落の文化が培われてきた。そのうちの一つ、標高300メートルの高地にある小野豆(おのず)集落には平家の落人伝説が伝わる。住民は棚田や急傾斜の畑を手入れして、山村の景観を守ってきた。小野豆で生まれ育ち、今も古里で畑仕事に精を出す安藤一也さん(84)が四季の風景を収めた写真とともに、小野豆の歴史や風土を紹介する。(田中伸明)
曲がりくねった山道をひたすら進むと、急に視界が開けた。かやぶきをトタンで覆った古民家が見える。周りの田畑はよく耕され、一幅の絵画のようだ。山のふもとに大きな枝垂(しだ)れ桜が立つ。春には枝先までびっしりと花をつけ、集落のシンボルになっている。
枝垂れ桜の下に案内板があり、この地に伝わる落人伝説を紹介する。1185(寿永4)年、壇ノ浦の戦いに敗れた平経盛(たいらのつねもり)は家来数人と小野豆に隠れ住んだ。しかし、源氏の追っ手に見つかり自害したとされる。
追っ手が落人に気付いたのは、ナスのへたが川に流れ、鶏の鳴き声も聞こえたからという。そのため、集落では近年まで、ナスや鶏を育てたり飼ったりしなかった。
一也さんは子どもの頃、地元の寺で開かれる日曜学校で「平家の子孫やから気品高く賢く」と言い聞かされた。小野豆は特別な場所という思いが強かった。
美幸さん(78)は18歳で一也さんと結婚し、20歳のときに小野豆で暮らし始めた。当時は水道もなく、不便な生活がいやだったという。「子どもが出たいと言ったら、出るつもりでした」
しかし、4人の子どもたちは高田小学校まで4キロの山道を元気に通った。美幸さんも、子育ての負担が軽くなるにつれ、山上の暮らしの魅力に気付いたという。
「季節によって山の色が変わって、春は若葉が燃え立つようになる。雲海を見下ろすときは、天上人になった気がします」
1962(昭和37)年に車の通れる道が開通して以来、小野豆の人口は減少の一途をたどる。近年は耕作されない田畑が増え、桃源郷のような景観は少しずつ失われつつある。
一也さんは、身辺の景色を記録しようと思い立ち、15年ほど前にデジタルカメラを買った。現在のカメラは3代目だ。被写体は集落の風景や身近な草花、山で採ったタケノコやシイタケ、家族の表情など。一枚一枚に愛着がこもっている。
今回は2017年1月~21年3月に撮った写真を提供してくれた。「この景色がずっと変わらないでほしい」。安藤夫妻の切なる願いだ。
■進む人口減少、無住地区も 山上集落、町内に9カ所
上郡町史(2011年刊)によると、町内には九つの山上集落があった。赤松地区の楠・市原・皆坂(小皆坂)・黒石、鞍居(くらい)地区の冨満(とどま)・鍋倉・獅子見(ししみ)、高田地区の小野豆、船坂地区の皆坂だ。
同町によると、このうち小皆坂は無住になった。4月1日現在の人口の最多は楠の30世帯67人で、最少は獅子見の1世帯1人。6集落で世帯数は10を切った。
小野豆は1945(昭和20)年には40世帯が住んでいたが、車道開通後の65年は15世帯、2000年は11世帯に減少。今年4月1日には8世帯14人になったという。
安藤夫妻によると、実際に集落に住んでいる人数はさらに少ない。町外からの転入もあり、代々住み続けている世帯は安藤家などごくわずかになったという。

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