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光海の岡田正春(おかだ・まさはる)社長=佐用町大酒
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光海の岡田正春(おかだ・まさはる)社長=佐用町大酒
第三者承継で会社を譲った高見国男会長(右)と妻淑子さん=佐用町大酒
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第三者承継で会社を譲った高見国男会長(右)と妻淑子さん=佐用町大酒
2年間、机を並べた岡田正春社長(右)と高見国男会長と妻淑子さん=佐用町大酒
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2年間、机を並べた岡田正春社長(右)と高見国男会長と妻淑子さん=佐用町大酒
蛍光灯の明かりにかざされたノリの焼き上がりを確認する岡田正春社長(左)=佐用町大酒
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蛍光灯の明かりにかざされたノリの焼き上がりを確認する岡田正春社長(左)=佐用町大酒
光海そばを流れる千種川。豊かな自然に囲まれた町で事業を継続する=佐用町
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光海そばを流れる千種川。豊かな自然に囲まれた町で事業を継続する=佐用町

 黒字でも廃業する中小企業が増えている。後継者がいない-。高齢経営者の切実な悩みが背景にあるという。山あいの町にとって会社は住民の貴重な働き口であり、地域を支えるインフラそのもの。事業承継で第三者へ代替わりする「継業」がうまくいけば、雇用を、そして地域を未来へと継ぐことができる。のり加工販売会社「光海」(兵庫県佐用町)もその一つ。一度は倒産を経験しながら地域に根を張り、新たな経営者にバトンを託した。社長になりたいと手を挙げたのは、東京で働く証券マンだった。(段 貴則)

 播磨灘から清流千種川をさかのぼった山あいの同町大酒地区に、光海はある。

 従業員数はアルバイトも含めて20人の小さな会社。8月末、従業員を前に、設立者でもある高見国男さん(77)が最後のあいさつをし、会長を退いた。「夫婦2人でやりきった。いい人に会社を引き継ぐことができ、憂いはない」。妻で前社長の淑子さん(77)と二人三脚で会社を守ってきた。

 同社の前身は1968年、国男さんの父が大阪で創業。故郷の佐用に工場を建て本社を移した。

 国男さん夫妻が跡を継いだが、バブル期、信頼していた取引先の裏切りで苦境に陥る。倒産を避けようと奔走した。頼ったのは旧知の弁護士で、後に「平成の鬼平」の異名で知られた中坊公平さんだった。

 多忙を極める中坊さんに相談した場所は、新幹線の車中。複数の金融業者が絡み、事態は深刻だった。「私が引き受ける。高見君には気の毒だが、倒産以外に道がない」。91年、会社の存続に区切りを付けた。

 「それでも何とか再起の芽は残したかった」。中坊さんに従いつつ、国男さんは再建を誓った。淑子さんも「あの頃は若かったよね」と話す。

 親族の会社の一部門として事業を続けつつ、国男さん夫妻が93年、淑子さんを社長に光海を設立した。「再建がかない、希望に燃えていた」と国男さん。営業担当を1人でこなし、全国を飛び回った。倒産前に30人いた従業員は半分になったが、以来、雇用を守ってきた。

 韓国風味の自社商品「旨しお海苔」がヒットし、事業は堅調だった。転機は5年前。国男さんが体の衰えを感じ始めた。ただ後継ぎはいない。「どう探せばいいか全く分からなかった」。光海に関心を示す企業経営者と“お見合い”もした。国男さんは「社長だけでなく、しっかりしたナンバー2、3がいる会社でなければ、光海を任せられないと思った」と話す。

 あるとき「個人で会社を承継することに関心があります」と連絡が入った。電話の主は、岡田正春(49)と名乗った。野村証券渋谷支店に勤める証券マンで、旧友の息子だった。

 岡田さんが佐用に足を運び、面談を重ねた。国男さんは「世間話をする時間の方が長かった。雇用を引き継いでくれる彼に任せることにした」と振り返る。

 2019年9月、淑子さんが顧問に、岡田さんが新社長に就いた。国男さんは2年間、会長として岡田さんに伴走することにした。「いつまでも会社に残って影響力を持つのは良くないが、零細企業の経営を学んでほしかった」と話す。

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 地域に根付いた会社を、経営者の身内ではない第三者が引き継ぐ-。深刻化する中小・零細企業の後継者難を背景に、起業とは違う「継業」が注目されている。岡田さんも、大手証券会社を辞め、縁もゆかりもない佐用で「継業」という新たな人生を歩み始めた。

 「光海の設立から30年近く、高見さん夫妻と従業員が安定して跳び続けている大縄跳びに、私も加わるようなものですよ」。岡田さんに気負いはない。

 きっかけは、岡田さんの父が、旧友から後継者難の話を聞いたことだった。その旧友が、光海会長を務めていた高見国男さんだった。

 岡田さんも父から「誰かいないか」と相談されたが、関心を持てなかった。学生時代、米国の金融街を描いた映画「ウォール街」を見て、野村証券の人事部長宛てに入社を希望する手紙を書いた岡田さん。願いをかなえた後は、法人部門などで営業に駆け回った。

 キャリアを重ね、昇進もした。だが、もっとやれることがあるかもしれない-。証券会社に入って20年が過ぎ、そんな思いを抱く。個人で企業買収をしたい人が集まる勉強会に顔を出すようになった。父に光海の件を聞いてから3年ほどたっていた。「後継者の話はどうなりましたか」。会社勤めに区切りを付け、自ら電話をかけて高見さんから会社を引き継いだ。

     ◆

 「サラリーマン社会から抜ける勇気を持つのに25年かかった。今は、中小企業の経営者として、楽しさと使命感を感じる」。岡田さんは「継業」による変化をそう表現する。

 工場の壁には「のりを極める」という高見国男さんと妻淑子さんの経営理念を引き続き掲げている。毎日、のりの仕上がり具合を従業員と一緒に確認する。同業者の休廃業や解散が増える中、新たな販路も得て、ものづくりに打ち込んでいる。

 職場では、岡田流も取り入れている。「しゃくとり虫戦略」「考動のスピードを上げる」。不要になった紙の裏面に会社の方針などを手書きし、朝礼などで従業員に示しながら説明する。「アナログですけど、しっかり伝わることが大事ですから」と笑う。

 社長就任後すぐに、トイレを改修したりデスクを新調したりした。「お金はかかるけど、人、従業員への投資だと思っている。会社に若い人を呼び込むことにつながる」と確信する。

 最近、岡田さんへ金融業界に身を置く知人たちから連絡があるという。「どこか引き継げる会社はないか」。「継業」という生き方への関心が広がっている。

     ◆

 「佐用に来て大変でしょう?」。岡田さんが東京から移住して間もない頃、よく住民に声を掛けられた。東京の利便性に比べれば、うなずける質問だが、岡田さんは笑って否定する。

 東京は住宅や食事など物価が高い。出勤時、渋谷のコンビニエンスストアは客で混雑し、水を1本買うのに20分かかったという。「出勤するだけでどっと疲れるが、今は山と雲と千種川を眺めて会社に行く。地元の人との会話は内容が幅広く、想像が付かない面白さもある」と、穏やかな佐用暮らしを気に入っている。

 住民同士の近さがあり、移住し、地元の貴重な働き口を継業すると目立つ。「こんなに俺はまじめだったかなと思うほど背筋が伸びます。地元企業の経営者として、人として、地域でどうあるべきかが問われている感覚ですね」

     ◇     ◇

■高齢化で後継者問題が深刻化

 中小・零細企業の後継ぎが見つからないことで、相次いで会社が倒産したり、経営者が事業継続を諦めて会社を畳んだりする「大廃業時代」の足音は、すぐそばまで迫っている。

 東京商工リサーチによると、全国で2020年に休廃業・解散した企業は調査開始の00年以来、最多となる4万9698件。前年比でも14・6%増だった。コロナ禍に伴う業績悪化も件数増に拍車を掛けているが、底流には経営者の高齢化、後継者不足がある。

 日本政策金融公庫総合研究所が、中小企業に廃業理由を聞いた調査では、3割近くが後継者問題を挙げた。帝国データバンク神戸支店によると、20年に兵庫県で休廃業・解散した企業(個人事業主を含む)は1660件。63%が最終黒字で、経営者の平均年齢は過去最高の70・2歳だった。

 高齢化に伴い、後継者問題は深刻化している。中小企業庁の調べで、25年までに70歳を超える中小・零細企業経営者は245万人。その半数の127万人は後継者が未定という。

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