
JR播但線と中国自動車道が交差する福崎町西治地区。奥には、柳田国男を育んだ辻川山と田原地区が見える(撮影・大山伸一郎)
鉄道と車。交通手段や物流の主役交代は、まちの姿を大きく変える。
兵庫県の姫路と但馬を結ぶ南北の道と、大阪と西国をつなぐ東西の道が交わる福崎は、古くから交通の要衝だった。結節点は日本民俗学の父、柳田国男を生んだ旧田原村だったが、1894(明治27)年の播但鉄道(現JR播但線)開通が転機となった。市川を挟んで対岸に福崎駅が完成すると、地域の活気は駅周辺に移った。
この記事は会員記事です。新聞購読者は会員登録だけで続きをお読みいただけます。
