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相生の初代ペーロン舟。最古の写真という(相生市立歴史民俗資料館提供)
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相生の初代ペーロン舟。最古の写真という(相生市立歴史民俗資料館提供)
出場したペーロン競漕の写真を持つ川崎久令さん=相生市
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出場したペーロン競漕の写真を持つ川崎久令さん=相生市
1965年に撮影された皆勤橋。多くの従業員であふれた(相生市提供)
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1965年に撮影された皆勤橋。多くの従業員であふれた(相生市提供)

 竜をかたどった手こぎの木造舟が速さを競う「ペーロン競漕(きょうそう)」が、長崎から兵庫県相生市に伝わって100年になる。中国語の「白龍(パイロン)」が語源とされ、一糸乱れぬ櫂(かい)さばきで進む姿は、竜が大海原から飛び立つ瞬間にも形容されてきた。造船で栄えたまちに響くドラと太鼓の「ドン、デン、ジャン」の音。なぜ1世紀にもわたって受け継がれてきたのだろう。ペーロンに魅せられた人々を訪ねた。(地道優樹)

■「海上運動会」として発展

 1枚のモノクロ写真がある。舟の上に白いシャツと短パン姿の屈強な男性たちが写っている。1923(大正12)年、相生湾で撮影されたらしい。

 写真は川崎久令(ひさのり)さん(78)=相生市=が持っていた。播磨造船所(現IHI相生事業所)の従業員だった父庄治さんの遺品整理で見つけた。初代のペーロン舟といい、庄治さんも写っている。

 ペーロン競漕は江戸時代に中国から長崎に伝わり、相生では22年、長崎出身の播磨造船所の従業員が始めた。その後、「海上運動会」として社内で発展し、職場の部門対抗戦で競われるようになった。新入社員の対抗戦も繰り広げられた。

 川崎さんも15歳で造船所に入り、1年目からこぎ手になった。毎日、昼休みは工場のそばに置かれた木造舟に集まり、タオルを櫂に見立てて「空こぎ」を繰り返した。「厳しいのは当たり前の時代。今思えばほんまにしんどかったけど、なんか造船所の一員になれたようで誇らしかった」

 入社当時は高度経済成長期。造船所は「石川島播磨重工業」と名を変え、単一の工場として世界一の船舶建造量を誇るようになる。従業員は7千人を数えた。毎朝、市街地と造船所を結ぶ「皆勤橋(かいきんばし)」は自転車通勤の社員で埋め尽くされた。

 まちの活気と歩調を合わせるように、毎年のペーロン競漕も盛り上がった。

 5月に入ると相生湾での海上練習が始まり、夕方の仕事終わりに1~2時間こいだ。最後は沈む夕日を眺めながら酒を酌み交わす。「『お前、うまいな!』って褒められたなぁ。熱い先輩が多かった」。仕事では怖い上司も、練習が終わると優しい顔を見せた。

 川崎さんには忘れられない景色がある。

 4艇が横並びで競うレース。艇長(ていちょう)が指揮棒を差し上げると、40人の選手たちは「ウワー!」と地鳴りのような雄たけびを上げ、櫂を頭上に掲げる。そして前かがみになってスタートを待つ。「ここが一番の醍醐味(だいごみ)やったんや」。速まる心臓の鼓動。体中に湧き上がる高揚感。「よーい、ゴー!」。審判艇の掛け声とともに、水面をたたくように櫂を振るう。高く、高く、水しぶきが上がった。

 「1回だけ、予選で1位になったことがあるんや。うれしすぎて、海に飛び込んだ。そんなアホが造船所にはいっぱいおった」。川崎さんが豪快に笑う。

 川崎さんがペーロン競漕に出たのは30代後半が最後だ。42歳で早期退職した。相生にも世界的な造船不況が押し寄せていた。

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