太平洋戦争で兄2人が戦死した兵庫県宍粟市山崎町の山下直昭さん(80)が、たつの市にある兄たちの墓前に石碑を建立した。年が離れていたため一緒に遊んだ思い出はないが、感謝と追悼の思いを込めた文を石碑に刻んだ。直昭さんは「日本の平和は、兄たちのように多くの犠牲があった上で成り立っている。忘れてはいけない」と力を込める。
亡くなったのは次兄の照一(てるいち)さん、長兄の久夫さん。照一さんは1944年2月に海軍の通信学校に入り、45年にフィリピンに送られた。そして同年4月、ルソン島のクラーク地区で戦死。わずか15歳だった。
久夫さんは関西大学の学生だった43年、海軍の大竹海兵団に入隊後、航空隊に移った。45年4月28日、22歳の時、神風特別攻撃隊員として鹿児島から出撃し、南西諸島洋上で亡くなった。遺詠の「母上の手になるマフラーかひ巻きて 散らむと誓ふこの子幸なる」は同年5月25日付の神戸新聞に掲載されている。
「久夫が私の名を付けてくれたんや」と直昭さんはほほ笑む。揖保郡御津村岩見(現たつの市御津町岩見)出身で、直昭さんは8人きょうだいの末っ子。照一さんとも10歳以上離れていたが、両親の無念さは幼心に感じていた。
戦争で命を落とした兄の思いを残そうと、久夫さんが両親やきょうだいらに宛てた手紙を1年がかりで編集。2006年に遺稿集「わが命 空に果つるとも」を発行した。
石碑を建てようと思ったのは「戦死者は軍国主義の犠牲者」という主張に疑問を持ったからだ。兄たちの同期の遺稿集や日記、神風特攻隊に関する書籍を読むにつれ、「日本の恒久の平和を願う『献身』の思いだった」と感じた。この思いを後世に語り継ぎたいと、石碑を計画した。
石碑には、兄2人の経歴を記し、久夫さんが「兄弟よ さらば俺は征(い)く 後を守って幸福になれ」としたためた日記の一部も紹介している。
昨年11月下旬にあった除幕式には親族ら20人が集まった。直昭さんは「平和は当たり前ではない。故郷や家族を守る決意で亡くなった人たちを語り継がないといけない」と訴え、石碑に刻まれた兄2人の名を優しく手でなぞった。

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