戦前の全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会)に台湾から出場し、旋風を巻き起こした嘉義(かぎ)農林学校(嘉農=かのう)の試合映像が、神戸映画資料館(神戸市長田区)で見つかった。1935(昭和10)年の準々決勝で、優勝校の松山商業に延長10回で惜敗した名勝負をスタンドから撮影。当時の盛り上がりがうかがえる。(田中真治)
嘉農は、日本統治時代の19年創立で、28年に野球部が発足。松山商業の初代監督だった近藤兵太郎が監督に就くと、31年夏の甲子園大会に初出場し、快進撃で準優勝に輝いた。
戦前の全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会)に台湾から出場し、旋風を巻き起こした嘉義(かぎ)農林学校(嘉農=かのう)の試合映像が、神戸映画資料館(神戸市長田区)で見つかった。1935(昭和10)年の準々決勝で、優勝校の松山商業に延長10回で惜敗した名勝負をスタンドから撮影。当時の盛り上がりがうかがえる。(田中真治)
嘉農は、日本統治時代の19年創立で、28年に野球部が発足。松山商業の初代監督だった近藤兵太郎が監督に就くと、31年夏の甲子園大会に初出場し、快進撃で準優勝に輝いた。