(手前から)神戸空港、ポートアイランド、神戸の市街地と六甲山系の山々。神戸市の都市経営は新時代を迎える=2024年12月、神戸空港上空付近から
(手前から)神戸空港、ポートアイランド、神戸の市街地と六甲山系の山々。神戸市の都市経営は新時代を迎える=2024年12月、神戸空港上空付近から

■国際化、広がる戦略どう描く

 神戸市の都市経営を象徴する会計が、今年3月末にひっそりと廃止された。

 「新都市整備事業会計」(新都市会計)。1957年度に「海面埋め立て事業会計」の名で設けられ、68年の歴史を重ねていた。

 高度経済成長期の人口が右肩上がりに増えた時代。山と海に挟まれた神戸は平地が少なく、山を削った土砂を、ベルトコンベヤーで海に運んで埋め立てた。後に、「山、海へ行く」ともてはやされた事業だ。

 開発費用は、この企業会計でやりくりした。税収などが入る一般会計とは、別の「財布」だった。

 ポートアイランド1期(443ヘクタール)、同2期(390ヘクタール)、六甲アイランド(595ヘクタール)など、港に広大な陸地を築いた。内陸部には計2808ヘクタールもの住宅・産業団地を造成した。

 人、企業が集まり、土地の売却で得た収入で、また次の土地を生み出す。「株式会社神戸市」と呼ばれたほど先駆的な手法は、まちの風景を一変させ、全国の自治体の範となった。

 生み出した計約5千ヘクタールは、神戸市の市街化区域の約4分の1に当たる。

 そして新都市会計で手がけた最後の大規模事業が空港島(272ヘクタール)だった。

    ◇    

 「市税を一切投入しないこと」

 神戸空港建設に際し、神戸市会で98年に可決された決議には、こう記された。

 阪神・淡路大震災の爪痕が残っていた当時、多額の費用がかかる空港整備には、反対運動が起きた。

 市会は建設の是非を問う住民投票条例案を否決した際、住民理解を得るため、空港建設に市税を使わないことを決議した。

 一般財源を使えないことから、市が活用したのが新都市会計だった。

 神戸空港は2006年に開港したが、造成費の市債(借金)返済に充てるはずだった空港島の産業用地売却は難航。新都市会計から支出した。

 運営も厳しかった。10年に日本航空が撤退し、15年に発着の7割を占めたスカイマークが経営破綻。空港本体の建設に発行した267億円の市債は、着陸料など自前の収入だけでは返せず、毎年のように新都市会計から繰り入れた。

 いわば内陸部や臨海部の土地造成で得た収入で、空港にかかる費用をやりくりした。苦しい時代を、新都市会計が支えた。

    ◇    

 25年4月18日。神戸空港は歴史的な日を迎えた。

 台湾や韓国、中国からの国際チャーター便が就航。「国際化」の節目は、歓迎ムード一色となった。

 コンセッション(運営権売却)方式を導入した神戸空港では、18年から関西エアポートグループが関西空港、大阪(伊丹)空港との3空港一体運用を開始。市は関西エア側から年4億4500万円の運営権対価の支払いを受けることで、空港本体の建設に要した市債を、59年までに全て返済できる見込みとなった。

 市会は国際化を前に、空港整備への市税投入を容認する決議を可決。駐機場拡張などの費用は一般会計から支出された。

 空港島の造成費は2664億円。そのために発行した市債1982億円の9割超は新都市会計で返し、24年度の支払いで完済した。

 新都市会計は全事業を終え、歴史に幕を下ろした。

 神戸空港は25年1~6月、上半期として過去最多の旅客数約187万6千人を記録。8月には単月として初めて40万人を超えた。

 30年ごろには国際定期便の就航が予定されている。

 空港島の産業用地は、約8割に当たる約60ヘクタールが売却されずに残る。市幹部は言う。「市債を完済し、売却を焦る必要はない。空港の国際化を受け、神戸の発展のために戦略的に使い方を考えていくことができる」

 都市経営の進化へ。神戸市は新たな時代のとば口に立っている。(斉藤正志)

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 神戸空港が国際化し、都心・三宮や臨海部のウオーターフロントの再整備が進む。12日には神戸市長選(26日投開票)が告示される。新時代に踏み出すまちの現状と課題を追った。