利用低迷など、さまざまな困難を乗り越えてきた神戸空港。2025年に国際化され、旅客数が初めて年間400万人を超えた=24年12月、神戸空港上空から
利用低迷など、さまざまな困難を乗り越えてきた神戸空港。2025年に国際化され、旅客数が初めて年間400万人を超えた=24年12月、神戸空港上空から

■成功と言えるか「見極めこれから」

 ガラス張りの壁面に、空の青が映える。昨年春に開設されたばかりの神戸空港第2ターミナルビル(T2)を、その男性が感慨深く見つめた。

 今年1月、清酒大手「沢の鶴」(神戸市灘区)会長の西村隆治(81)は、国際線用のT2を初めて訪れた。訪日客が往来する施設内で、40年以上前、空港誘致に奔走した日々を、昨日のことのように思い出す。

 騒音問題が深刻だった1960年代後半から、大阪(伊丹)空港に代わる関西新空港の最有力地は、神戸沖だった。しかし72年に神戸市会が反対を決議し、翌73年には当時の市長、宮崎辰雄も反対を表明。大阪・泉州沖への建設が決まった。

 西村が、空港誘致活動を進める神戸青年会議所(神戸JC)理事長に就いたのは、82年のことだった。

 神戸JCは、独自の「神戸沖国際空港案」を発表。西村は神戸市会の各会派を訪れ、反対決議の撤回を説得して回った。神戸の財界人らと共に、運輸大臣に会って要望もした。

 「国際都市神戸の発展に、空港は欠かせない」。共に活動したメンバーとは、その思いで一致していた。

 市会は同年、決議を撤回する意見書を可決。市も方針転換し、新空港の試案を公表した。93年、国の第6次空港整備5カ年計画で神戸空港が新規事業になり、建設方針が決まった。

 神戸JCの案に沿うかのように、ポートアイランド沖で2006年に開港した神戸空港には、昨年4月に国際チャーター便が就航。世界への扉が開かれた。

 「当時の頑張りが報われた。やっとここまで来たんやなという感じがする」。西村は静かに言った。

 神戸市議の粟原富夫(72)=10期=は、神戸空港建設の是非を問う住民投票条例制定を求め、98年に署名活動にかかわった。

 騒音や海洋汚染を問題視した建設反対運動は、95年の阪神・淡路大震災を機に、市の財政や開発事業の在り方を問う市民運動に発展していた。粟原は当時3期目。三宮の街頭で署名集めに立つと、行列ができた。

 総額3千億円超の巨大事業。「空港より被災者の生活再建を」「まちの将来は市民自らの投票で決めるべき」との訴えは党派を超え、うねりとなった。

 30万人を超える署名を集め、98年10月に直接請求。しかし同11月、建設推進派が多数を占める市会で否決された。

 前日の委員会での強行採決に抗議し、本会議に出席しなかった粟原は、傍聴席からあふれた市民と共に、市役所1階ロビーでその知らせを聞いた。同じ会派の市議は涙を流していた。

 あれから27年。神戸空港に国際チャーター便が就航した昨年4月18日、粟原は日韓友好神戸市会議員連盟の一員として、1番機に乗って訪韓した。

 「国際空港としての可能性が広がっているのは事実。今も反対しているわけではない」

 神戸空港の整備に要した費用は、埋め立てや空港本体の建設などを含め計3248億円。このうち空港島を造るために発行した市債(借金)は、「新都市整備事業会計(新都市会計)」から1858億円を返済した。市が長年、内陸部の山を削り、海を埋め立てて得た土地の収益を充てた形になった。

 粟原は「まだ神戸空港が成功したとは思っていない」と話す。「本来、市民に還元すべき新都市会計の2千億円近いお金を、空港の借金返済に充てたのが、本当に良かったのか。国際空港として、市民生活の向上に寄与して初めて成功と言える」

 神戸空港を造って良かったと言えるかどうかは、これからにかかっていると思っている。(敬称略)

 多難な道のりを歩んできた神戸空港が、16日に開港20年を迎えた。2030年には国際定期便の就航を予定する。世界に向け、無限の可能性が広がる空港の軌跡と課題を追った。(斉藤正志、大島光貴)