パリ五輪で銀メダルを獲得し喜ぶ玉井陸斗=8月10日
パリ五輪で銀メダルを獲得し喜ぶ玉井陸斗=8月10日

 特別な思いで見届けた。8月、パリ五輪。日本水泳飛び込み界初の表彰台となる銀メダルに輝いた玉井陸斗(18)=JSS宝塚、須磨学園高3年=の偉業達成だ。デイリースポーツの水泳担当記者、谷凌弥さん(26)は元飛び込み選手で、玉井と競り合ったこともある仲。「彼の存在は飛び込み界にとって希望しかない」。8月12日付の紙面には、万感の思いで記したコラムが載った。

デイリースポーツ紙面で万感のコラム

 京都府出身で、小学3年から競技を始めた谷さん。西城陽高では全国高校総体男子シンクロ板飛び込み(公開競技)を制した。9学年下の玉井の存在を初めて認識したのも高校時代だ。合宿でJSS宝塚を訪れた際にいた、当時小学2~3年の小柄な男の子。女子が多い宝塚のメンバーで目立つ存在ではあったが、当時は無邪気な子どもという域を超えることはなかった。

 しかし、10歳で競技の本場・中国での合宿を経た天才少年は、資質を目覚めさせる。帰国後、「入水もフォームの完成度も(自分が)上回られていた」と度肝を抜かれた。多くの飛び込み選手が先に技の回転数を増やし、後からフォームを修正していくが、玉井は当時からフォームが先に整い、「回転数が増えても形が崩れなかった」と谷さん。この頃の伸び幅が、一番大きかったという。

 共に戦ったからこそ知る意外な姿もある。それは玉井のシニアデビュー初戦となった2018年の関西選手権。11歳の小学生の演技は、シニアの中で「きっとすごいことになるだろう」と予想した。しかし、出番を待ちながら見守る谷さんの前で、玉井は1本目に高さ10メートルの飛び込み台から足を踏み外すミス。会場には大きな水音が響き渡った。試技の結果は「0点」。入水の衝撃で顔が真っ赤になり、涙を浮かべるホープの姿は、鮮明に覚えている。

 翌年、玉井はシニアの大会を史上最年少の12歳で制した。一気に日本のエースへ駆け上がる背中はどんどんと遠ざかり、その活躍は「必然的で、ライバルとも思わないくらい(圧倒された)」と谷さん。それでも後輩ながら技のこつを助言してくれたり、引退試合の前には激励の言葉をかけてくれたりと、温かい人柄は変わらなかったという。

 現役引退後の20年にデイリースポーツに入社。2年前から水泳担当となり、選手仲間は、記者と取材対象の関係になった。ただ、時に思い出話で盛り上がると、「昔と変わらない『陸斗』を感じる」と話す。

 パリ五輪の現地には先輩記者が赴き、日本時間8月10日深夜のメダル獲得の瞬間は東京都内の自宅から見守った。飛び込み界の悲願達成の感慨とともに「陸斗なら、もっと良い点数を出せたとも思った」と感情が入り交じった。その後は「興奮で眠れず、朝まで記事を書いていました」。12日付のデイリースポーツには、当日の試合記事に加え、中国合宿のサイドストーリーやコラムなど、谷さんの記事がいくつも載った。

 日本の若きエースは、既に4年後のロサンゼルス五輪での金メダル獲得を見据える。「彼は選手で(活躍し)、自分はそれを追い続けられたら」と夢を重ねる谷さん。日の丸を背負う「後輩」とともに、記者としての挑戦は続く。(山本 晃)

 谷さんの記事はこちら。

■飛び込み銀・玉井陸斗/「11歳にさせることじゃない」飛躍支えた地獄の中国合宿/日本を背負う未来信じ重ねた努力(2024年8月12日付)

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■【記者の眼】玉井陸斗/目を見張る下半身強化/15歳エースの使命感に日本初五輪メダルへ(2022年5月25日)

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■飛び込み玉井の素顔を知る男/元選手のデイリースポーツ記者が明かす/勝負強さ支える圧倒的練習量(2021年8月6日)

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