「うちの桜ね、外面(そとづら)はいいんやけど内面(うちづら)が悪い。家から見たら裏側ばっかりでおもろいこと何もあらへん」。上方落語の桂米朝師匠が生前、枝ぶりをぼやいていた尼崎・武庫之荘の庭の桜が今年も満開となった。散歩で前を通るたびに、味わい深い話芸や人生の機微を語った折々の言葉を思い出す。
「うちの桜ね、外面(そとづら)はいいんやけど内面(うちづら)が悪い。家から見たら裏側ばっかりでおもろいこと何もあらへん」。上方落語の桂米朝師匠が生前、枝ぶりをぼやいていた尼崎・武庫之荘の庭の桜が今年も満開となった。散歩で前を通るたびに、味わい深い話芸や人生の機微を語った折々の言葉を思い出す。