戦争では全ての国民がひどい目に遭ったのだから、みんなで耐え忍ばなければならない-。この「戦争被害受忍論」が壁となり、多くの民間人戦争被害者への補償は戦後81年を迎えた今も実現していない。一方で元軍人や軍属、その遺族らへの年金や恩給は累計60兆円を超える。
同じ戦争で被害者を区別し、我慢を強いる理不尽な論理がなぜまかり通ってきたのか。今後も受け入れ続けることで、どんな影響をもたらすのか。「新たな戦争」に踏み出さないために何ができるのか。終戦の日に考えたい。
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戦争被害受忍論は1968年、戦争で失った海外財産への補償を求めた裁判の最高裁判決で司法の場に登場した。「戦争の犠牲や損害は、国民が等しく受忍しなければならず、その補償は憲法が全く予想していない」として訴えを退けた。
2000年代には、東京大空襲や名古屋、大阪空襲など各地の被害者たちが国に補償を求める訴訟が相次いだ。いずれも受忍論の壁に阻まれ原告は敗訴した。ただ近年の判決では被害の実態を認め、補償のための立法措置を促す流れも生まれた。
■置き去りの空襲被害
被害者らは全国組織を結成し、超党派の国会議員連盟とともに救済を求める法案を何度も提出した。だが全て廃案になり、近年は国会に提出さえできない状態が続いた。
今年7月、38年ぶりに提出にこぎ着けた法案は、実現のために、亡くなった人や遺族、孤児を救済の対象から外す苦渋の選択を迫られた。対象者は約3千人、1回限り50万円を支給し、予算規模は16億円と推定される。元軍人らとは比較にもならないが、それでも自民党など与党は賛同せず廃案になった。
戦後補償問題に詳しい直野章子・京都大人文科学研究所教授は「受忍論の本質は、被害を引き起こした国家が、それを耐え忍ぶよう国民に命じる点にある。非常事態を理由に国への責任追及を許さず、実質的には非常事態を脱した後も我慢を強いている」と指摘する。
ただ同じ民間人でも、原爆被害者らには不十分とはいえ救済の仕組みがある。核被害を「特別視」することで空襲被害を切り離し、被害者同士が広く連帯する機会を阻む要因にもなったと考えられる。
受忍論が持ち出されるのは戦争被害に限らない。高度成長期の公害、東日本大震災時の原発事故でも、国策の影で命と健康、暮らしを害された人々の救済に国は消極的だった。新型コロナウイルス禍で患者や医療従事者が偏見にさらされ、科学的根拠の乏しい中で自由が制限された。
国策だから、非常時だから、多少の犠牲はやむを得ない-。今の社会にも、受忍論を無批判に受け入れてしまう風潮があるのではないか。
2年前、ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の田中煕巳(てるみ)代表委員が授賞式で「政府は原爆による死者への償いは全くしていない」と訴えた際、「国の恥をさらすな」といった抗議が殺到したという。昨年10月に就任した高市早苗首相は衆院選圧勝と高支持率を追い風に、専守防衛の枠に収まらない防衛力増強に突き進む。
■容認の風潮はいまも
いまこそ受忍論にあらがい、国に補償を求めてきた戦争被害者の言葉に耳を傾けたい。大阪空襲訴訟の元原告、小林英子さん(93)=西宮市=は12歳で空襲に遭い、負傷した右足は不自由なままだ。「国が当たり前の対応をしていたら、足も少しは良くなって女学校に戻れたかも」。東京大空襲の被害者らが国に謝罪と補償を求める裁判を起こすと知り、「黙っていられない」と大阪の原告団に加わった。70歳を過ぎていた。
最高裁で敗れはしたが「意味はあった」と振り返る。「裁判を始めて人前で体験を話すようになった。我慢してばかりでは国の偉い人たちの都合のいいようにされる。戦争だけはやめて、と言い続けたい」
次の戦争が起きれば被害者は自分や家族かもしれない。体験者と手を携えて全ての戦争被害者を救済する立法の道を開き、戦争には始めた者の責任と戦後補償の義務が伴うことを明確にする。実現すれば受忍論は克服され、国が容易には戦争に踏み切れないハードルになるだろう。
各地で、集めた空襲被害者の名簿を読み上げたり、埋もれていた資料を発掘したり、体験者の証言だけに頼らず、さまざまな方法で被害の実相を明らかにしようとする動きも広がっている。一つ一つの取り組みを不戦の声につなげていきたい。
























