子どもは、どんな教師と出会えたかによって未来が大きく変わることがある。大学2年生の中井けんとさん(@pataconamama)は、元不登校。脳性麻痺や発達障害があり、学生時代にはいじめを受けた。
だが、中井さんは理解ある教師や大人に巡り会え、「国語の先生になる」という夢を持った。
■幼少期に“脳性麻痺”と“発達障害”が判明
中井さんは、乳幼児検診で脳性麻痺が発覚。手には麻痺があり、箸を使うことは難しい。足は外側に開くことが困難だ。
医師からは「自転車には乗れない」「早くは走れない」と言われたが、反骨心が疼いた。
「子どもながら、障害が僕を苦しめる糧になったり、選択を奪われたりしたくないと思って。足に負荷はかかりますが、自転車は乗れるようになりましたし、遅いけど走ることは好きです」
ADHDが判明したのは、2歳の頃だ。療育の施設内で、走って窓ガラスにぶつかっていったことがきっかけだった。
「ASDとLD(学習障害)は、小5の頃に受けた発達検査で分かりました。僕のLDは、書字障害。漢字は読めますが、書けません。手から血が出るほど練習したけど、自分の名前も漢字で書けない。試験や市役所での手続きの時には代筆を頼まなければなりません」
■イメージ通りの障害者でなかったことから“壮絶ないじめ”が…
小3までは普通学校の特別支援級に通っていたが、仲がいい近所の子と同じ学校に行きたくて、小4で転校。普通学級で学び始める。
だが、そこで始まったのは暴力を伴ういじめ。きっかけは「椅子を持とうか?」という気遣いを、中井さんが断ったことだった。
自分でできることはやりたい。中井さんはそう思っていたが、同級生たちはあらかじめ、担任教師から「体の弱い子が転校してくるから、優しくしてあげましょう」と説明を受けていたため、想定とは違う中井さんの反応を受け、「生意気」と感じ、いじめが始まった。
「思っていた障害者像と僕が違いすぎて異端に映ったから、いじめという形で排除しようという動きになったのかなと。個人の意思よりも“障害者”という部分が先行して行われる“善意の配慮”は誰も悪くないからこそ、難しい問題だと感じました」
■母が教えてくれた「校外の世界」で自己表現の大切さを痛感
中井さんは、小5で不登校に。いじめの原因と思えた“みんなと違う足”を切ろうと、ノコギリを持ち出したこともある。
限界な心を支えてくれたのは、母親だった。母親は外の世界に中井さんを連れ出し、たくさんの大人と会わせ、学校だけが全てではないと教えてくれたのだ。
「最初は、不登校であることを否定されたり、叱られたりするんじゃないかと思って怖かった。でも、周りの大人はそうではなくて。学校から1歩出ると世界や人間は多様で、僕を認めてくれる人もいると気づけたんです」
もともと読書が好きだった中井さんは心のモヤモヤを詰め込んだ絵本(『かわったかたちのさかな』=協立コミュニケーションズ)を自主制作して販売。
周囲の大人が、その自己表現法を褒めてくれたことで、中井さんは自分の言葉を伝えることの大切さを痛感した。
■自身のいじめ体験を振り返って“子どもの心を守るイベント”を開催
中学の頃は普通学校の特別支援学級に通うも、心奪われたのは校外での活動。中2の頃、中井さんは子どもが主体となって開催するイベント「こどもばんぱく」を開催する。
このイベントは自身のいじめ体験を見つめ直す中で、思いついたものだ。
なぜ、いじめは起きるのか。そう考える中で、中井さんは教育や親子関係など、様々な問題の連鎖によっていじめは起きるという自分なりの答えに辿り着いたという。
「僕をいじめた子たちは、『お前は配慮されるから甘えられる』と言っていました。それって裏を返せば、彼らは甘えられていないということ。母の日に描いた絵を目の前で破かれ、『こんなんじゃ、中学受験に受からない』と言われた子もいて…。僕は障害を免罪符にして宿題の量も減らしてもらえていたので、たしかにずるく映ったよなって」
場が変われば、親に破かれた絵を褒めてくれる人だっている。いじめっ子と似た思いをしている子どもにそう伝えたくて、中井さんは「こどもばんぱく」を開いたのだ。
「このイベントの良さは、自分の自由な表現がお金という目に見える形で評価されるところ。中2から高1までの間に3回開催し、来場客は6000人にも上りました」
校外の活動にやりがいを見出した中井さんはこの頃、“前向きな不登校”をしようと担任の教師に相談した。すると、担任からは予想外の言葉が。
学校で育まなければならないのは、社会性と学力。イベントで社会性は育まれるだろうけれど、学力は自分で学習して育まないといけない。担任はそう言い、自宅学習を続けて全教科80点以上を取ること(※特性によって困難な漢字の学習は除く)を条件に、中井さんの生き方を尊重し、未来を気遣ってもくれたのだ。
「学校って嫌な場所と思っていましたが、いい先生もいるし、システム的にはよくできていると、この先生との出会いで気づくことができました」
■「ダメ」と思ってきた経験が活かせることに気づいて”教員“が夢になった
高校は通信制。入学時にはパソコンの購入が必須だったが、スクーリング時には手書きでメモを取るというルールがあり、書字障害の中井さんは悪戦苦闘した。
この頃、中井さんはオンラインのフリースクールでバイトをするようになる。フリースクールでは授業を自分たちで組み立てる形であったため、子どもたちには絵本制作や楽曲制作など、クリエイティブ的な授業を行った。
すると、生徒に大好評。中井さんは、これまで「ダメ」と思っていた経験が役立つことに衝撃を受けた。
「障害や特性、不登校やいじめの経験は何に活かせるんだろうと、ずっと思っていましたが、実際に経験したからこそ、僕は人間って多様だと伝えられる。苦しんでいる子どもに通学以外の道を教えることもできると思ったんです」
教員になりたい。そんな夢を持った中井さんは様々な人と対話をし、「言葉は人と繋がる第一歩」と強く感じてきたからこそ、言葉を扱う“国語の先生”を目指し始めた。
「ただ、自分の成功体験を押し付ける先生にはなりたくないので、今は他の不登校だった人の話も聞き、客観的な視点を持てるように努力しています」
■教員になって「誰一人取り残さない教育」の答えを見つけたい
書字障害がありながら国語の先生を目指すには、大変なことも多い。だが、中井さんは近年、広がりつつあるデジタル機器を活用して行う「ICT教育」を取り入れながら、発達障害の子に国語を教えたいと考えている。
「僕のいじめは、対話の不十分さから健常者と障害者の間に溝が生まれていることも原因のひとつだったと思う。障害者と出会う機会は少ないから、健常者は教育の中で教えられた“善意の配慮”をするのは自然なこと。それに、障害は触れることがタブー化されているところもあるので、特性や症状を聞きづらい。互いの間に優しさがあるがゆえに、健常者と障害者の溝は生まれていると感じます」
だからこそ、中井さんは教育という面から両者の溝を少しでも埋めたいのだ。
「人の思想には、幼少期の教育が影響していることも大きい。不登校の問題も『ずるい』や『逃げたら甘え』という声が寄せられることもありますが、そう言う人たちはきっと、同じことを言われてきたんじゃないかなと。だから、僕は教育現場で子どもたちとしっかり対話をして、文科省がいう“誰一人取り残さない教育”の答えを見つけたいんです」
なお、中井さんはLD当事者として、自ら動かないと福祉支援の情報が得られにくい現状が変わることも願っている。
「例えば、選挙。書字障害だと書けないから投票を諦めてしまう人もいますが、期日前投票では診断書がなくても職員に代筆してもらえる代理投票制度があるので市区町村に問い合わせてほしいし、メディアは積極的に制度の情報を発信してほしいです」
社会は、コロナ禍のような危機的な出来事が起きなければ、既存のシステムを見直そうとはしない。だが、当事者にとっては大きな困りごとが世の中にはたくさんある。例えば、学校の共通テストの回答法はなぜ、未だに紙だけなのか。そして、LDの人が学習時に読みやすいフォントが選べないのは金銭的な問題だけが理由なのだろうか。
そんな疑問を発信し、意見交換することは、今より優しい真に多様な社会を作る第一歩となる。
中井さんは今、認知特性や発達特性など見えづらい違いや特性を持つ人の視点を活かした インクルーシブデザインの企画会社「Ledesone(レデソン)」の学生スタッフをしつつ、Xやnoteで発達障害の人に役立つ暮らしのテクニックも配信中。対話を重視する彼が将来、どんな教師になるのか楽しみだ。
(まいどなニュース特約・古川 諭香)