「3.11の震災で亡くなった婆ちゃんから実家に手紙が届いた」
2026年4月30日、Xで公開された一通の手紙が大きな反響を呼びました。投稿したのは、岩手県盛岡市出身で、現在は神奈川県川崎市在住のミュージシャン、柿崎幸史(かきざきたかふみ)さん(@fippa)。投稿には2.2万件を超える“いいね”が寄せられています。
手紙を書いたのは、東日本大震災で亡くなった祖母・柿崎喜代子さん(当時80歳)です。2001年3月、岩手県宮古市などの実行委員会は「みんなで開けよう!タイムカプセル」と題し、25年後の開封を約束する企画を実施。市民からは392通のメッセージが集まりました。喜代子さんも、当時13歳だった孫の幸史さんへの手紙を託していた一人だったのです。
■25年後に届いた祖母からの手紙
2026年3月22日、タイムカプセルが開封されました。その後、柿崎さんの実家に、喜代子さんの手紙が届きます。
「母から連絡を受けたときは、本当に驚きました。手紙の存在はこのときまで知らなかったんです。祖母の死を受け止めるのに数年かかったので、まさか手紙が届くとは…正直、当初は戸惑いが大きかったのを覚えています」
柿崎さんは、母親とビデオ通話をつなぎ、手紙を読み上げてもらいました。
<この手紙は今日から二十五年後に届きます>という書き出しで始まる、便箋2枚につづられた手紙。そこに記されていたのは、孫を見守る言葉の数々でした。風邪気味だと聞いた体調への気遣い、期末テストを控えた日常、そしてピアノ発表会を楽しみにしていること。
さらに、社会に出たら一生懸命頑張り、「他人を思いやるやさしい心」をいつまでも持っていてほしいと伝え、<二十五年後の幸君の姿を見たいですが、そんなには生きられません><よい孫を持ってよかったと思っています>とも記していました。
最後に「さようなら。さようなら」と締めくくられたその言葉を聞いた柿崎さんは、「ああ、おばあちゃんの手紙なんだなと実感が湧いて、自然と涙が出てきました」と、当時の心境を語ります。
■小学校教員だった祖母 震災で突然閉ざされた未来
喜代子さんは、宮古市田老地区で暮らしていた小学校教員でした。柿崎さんによると、家庭環境に問題を抱える子どもに食事を振る舞い、進路の相談にも乗っていたそうです。
「優しくも厳しくも、歯に衣着せぬ人です。どんなことでも真正面から向き合ってくれる祖母のことが大好きでした」
ゆっくりと、ともに時を刻むはずだった喜代子さんと柿崎さん。2011年3月11日に発生した東日本大震災によって、その未来は突然閉ざされてしまいました。喜代子さんが暮らしていた宮古市田老地区も津波に襲われ、その行方がわからなくなったのです。
「当時、入院していた祖父は避難し、のちに兄が迎えに行ったのですが…父と何度も祖母を探したものの、なかなか見つかりませんでした。1週間ほど経ったころ、警察から遺体発見の連絡を受けた兄が、現地で祖母であることを確認。その後、私も現地を訪れ、祖母と対面しました」
柿崎さんは、北海道から応援に駆けつけ、担当してくれていた警察官が唇を噛み締め、うつむいている姿を見たとき、「この人は毎日、こうやって立ち会っているんだ。これ以上、つらい思いをさせてはいけない」という思いにかられ、悲しみをこらえたといいます。
「当時の現地は、自分より他の人のほうがつらいのだから我慢しなければいけないという気持ちを、誰しもが持っているように感じられました。そうしたなかで、何か自分にできることをと動くうちに、どんどん疲弊して…家から出られなくなってしまった時期もありました」
生前、「音楽はやめて教員になりなさい」と喜代子さんから言われ、たびたび腹を立てることがあったという柿崎さん。震災の1カ月前、そうした会話に変化があったことが強く印象に残っているといいます。
「その日は、祖母が私の将来について真剣に思いを伝えてくれているのがわかったんです。あらためて、『自分の人生だから自分で決める』と伝えました。すると、祖母は少しうつむきながら『それでも良いのよ。ちゃんと考えているなら。でもちゃんと生きていかないといけないから』と言ってくれたのを覚えています」
それが、喜代子さんと交わした最後の会話になりました。
「音楽で生きていくことへの“免罪符”をもらったようにも思います。でも、本当は自分と同じように学校の先生になってほしかったんでしょうね。大学でも教職課程をとっていたので、なおさらだと思います」
■音楽で生きる今、祖母に伝えたいこと
今、柿崎さんは音楽を通して子どもたちと関わっています。この14年間、文化庁の復興支援事業に参加し、地元の子どもたちに演奏を届けてきました。
「地元では、吹奏楽の指導もするようになりました。教員だった祖父母、そして震災のこともあり、地元の子どもたちには深い愛情を感じています。昔と今では子どもへの接し方も変わっていて、時代に合わせていくべきとも考えますが、祖母のように飾らず、同じ目線でしっかり話を聞き、伝えるべきことは伝えていきたいです」
喜代子さんに紹介することは叶いませんでしたが、当時から交際していた女性は、のちに祖母と同じ小学校の教諭となり、現在は妻として柿崎さんの人生を支えています。また、兄、そして従兄弟もまた、教職の道へ。「父も母も大病せず元気に過ごしているよ、と。まずはそのことを伝えたいですね」と、柿崎さんは穏やかに語ります。
「祖母との最期の会話は、とても重みのあるものでした。今、音楽の道で生きていると伝えたいですが、あくまで自分が好きで選んだ道です。だからこそ、これからは、ゲームに熱中して祖母に怒られていたあの頃のような、自由で純粋な心も大事にしていきたいと思います」
喜代子さんの手紙は、柿崎さんが未来へと進む一歩を強く後押ししました。
「祖母を失って15年経った今、お別れができたのは奇跡です。タイムカプセルの企画をしてくださった宮古市役所政策課のみなさんには本当に感謝しています」
Xの投稿には、喜代子さんの教え子からのリプライも届き、あたたかなやりとりが広がりました。祖母から託された言葉を胸に、柿崎さんはこれからも自分らしい音楽を届けていきます。
(まいどなニュース特約・梨木 香奈)























