四月二十五日に支給された給料は、計算通り約四割も減っていた。「やはり独立しかないな」。ホテルのケーキ職人だった藤田康夫さん(46)は、すでに退職の気持ちを固めていた。
震災とその後の影響で、神戸市中心部や有馬、宝塚など多くのホテルが打撃を受けた。草分け的な存在だった旧居留地のオリエンタルホテルも同様だった。壁面が崩れ、ガラスは砕け落ちた。再建の見通しは立たない。
だが、オリエンタルが取った対応は、ほかのホテルとはちょっと違っていた。「全員がいったん退職、そして再雇用」という方法である。
具体的には、全従業員二百二十人が退職し、新たなホテル運営会社が再雇用する。配属先は系列の西神オリエンタル、七月に開業する神戸メリケンパークオリエンタルなどになる。
働く人たちのメリットは、ともかく雇用が確保され、「退職金」の形で一時金が受け取れること、デメリットは、これまで何年働いていようと、基本給は「新入社員」からスタートし、給料ががくっと減ることだ。
藤田さんは、三月二十二日、運営会社の人事部門配属の辞令を渡された。しかし、ケーキを作る製パン・製菓部門の職場は、西神にも、メリケンにもない。「しがみついていても、退職金をくいつぶすだけ。冒険する最後の機会だ」。退職後は、店を開くことを考えている。
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賃金の引き下げに対し、京英雄・運営会社社長(56)は「退職金を払っているのだから、再雇用の場合、勤続一年は一年。年齢などは関係がない」と話した。
労働組合の福井一夫委員長(48)は、勤続年数によって退職金が三十万円から二千四百万円になる、と試算を示したうえで、こう説明した。
「雇用を守るには給与を抑えるしかなかった。その代わり退職金がある。第二の人生を考える人もいるだろうが、ホテル再開のめどはなく、選択肢はなかった」
どの道を選ぶにしろ、オリエンタルの選択は、従業員全員の人生設計をがらりと変えたことになる。
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宝塚グランドホテルは二百三十人、ホテル全但は六十四人を解雇。有馬の老舗(しにせ)ホテル「向陽閣」は、希望退職を募った。
今、営業を再開したホテルでも、復興でゼネコン社員らの宿泊はあるが、自粛でレストラン、宴会部門は低迷。当分、売り上げ増は見込めないという。
震災前、神戸を訪れていた観光客は年間二千七百五十万人。被災地は観光バスが走るムードにはほど遠く、旅行代理店などは「観光客の減少は当分続く」とみる。
全壊した神戸・三宮のビジネスホテルは、従業員を全員解雇。支配人を務めていた尾江邦比古さん(47)は、残務整理を終えた三月から職探しを始めた。
人材銀行を訪ね、岡山にも足を延ばした。同月下旬、電話で紹介を依頼した名古屋の人材銀行で「鳥羽に開業を予定しているホテルがある」と聞き、翌日には面接を受けた。
社長は「採用したい」と言ってくれたが、開業は来年秋。当面、どうするかと、新聞に求人広告が数多く掲載される日、月曜は駅の売店に走っている。
1995/4/29