神戸市須磨区で鉄工所を経営していた黒田達男さん(70)=仮名=は、居候の身だ。取引のあった神戸市兵庫区内の工場に間借りし、設備も借り受けて仕事をこなす。
自らの工場は、「工場アパート」と呼ばれる鉄筋五階建ての貸しビル二階にあった。鉄工、ケミカルなど零細業者二十社余りが入居していた。
地震の日、家の片付けも早々に長男(48)と様子を見にきた。「大丈夫やな」。その夜、燃え広がる大火が襲い全焼、機械まできれいに焼けた。
工場アパートは、入居者と家主の間で話がまとまらず、解体のめどすらたっていない。自分の工場がないため事業計画が立たず、復興融資に必要な県信用保証協会の保証が得られない。「ないないづくしですわ」と、黒田さんはぼやく。
取引のあった銀行に融通してもらった分だけでは資金不足。震災前の仕事で、今も未回収の売掛金がある。
「要するに工場ですわ。工場さえ借りれたら、なんとかできるんです」
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神戸市はケミカル、機械金属を中心に、被災した中小企業向けに一次、二次合わせて百七十戸の仮設工場を建設した。
被災企業の多い神戸市長田区の三カ所に建てた第一次の五十二戸は、平均倍率が十二・六倍に達した。
二次の百十八戸は西神工業団地など神戸市西区の三カ所に造られ、三月二十九日に締め切られたが、倍率は一・六倍。当日まで募集割れの状態だった。工場のあった街を離れ、神戸市西区まで移ることに、なかなか踏み切れない。仮設住宅の入居と同じ心理が、中小企業の経営者にも働く。
神戸市は長田、兵庫区などの民間の土地を借り仮設工場を造る案を検討したという。だが、「仮設の期限が切れた時、すんなり企業に移ってもらえるか不透明。市も責任を持てず、地主に迷惑をかけるわけにはいかない」と市工業振興課。
検討した民間の貸工場再建支援策も、国の制度にあてはまらず、市独自の予算措置は資金的に困難という結論を出した。そして今、こう話す。
「西区という遠隔地であることを差し引いても、二次募集の倍率からみて、被災企業は、なんとか工場のめどがついたのではないか」
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被災地で聞き取り調査をした日本福祉大学の森靖雄教授(中小企業論)は「西区への移転は、機械の移動、製品の運搬、従業員の通勤など、今までにない要素が多い。これまで一つの街の中に混在していた職と住が、離れてしまうことへの抵抗が強い」と分析する。
黒田さんは、仮設工場の一次募集は間に合わず、二次は申し込みを見送った。「五十年近く、同じ街でやってきた。もう一度やり直すなら、やっぱりここで」。難航する工場探しにも、思いは変わらない。
全壊状態だった間借り中の鉄工所は、鉄骨の梁(はり)で天井を支え、壁をトタンで補修している。
経営者(54)は「長い間借りてきた工場やから、家賃も安かった。新しく工場を借り直したら三倍はかかる。手を入れながらここでやらんと」と話す。
雨漏りの心配をしながら、二つの鉄工所の同居はまだしばらく続く。
1995/5/8