阪神大震災から三カ月が過ぎた。朝のオフィス街には人波が戻ってきた。新緑は日々、鮮やかさを増し、工場や店の再開もピッチが上がる。だが、震災の打撃はあまりにも大きい。
仕事を失い、働く先を見いだせない人がいる。自宅待機のまま、じりじりと出社を待つ人がいる。再開のめどが立たない商店主も多い。
震災はビルを壊し、工場を壊し、店を壊した。影響は、売り上げの減少、取引先の被災などの形でもじわりと広がる。今、働く場所はどうなっているのか。かつての営みを取り戻すには、何が必要なのだろうか。
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神戸公共職業安定所で会った男性(52)は、「四月末で退職することになっている」と話した。
勤務先は神戸市内の洋服メーカー。本社は「全壊」と判定されたが、仕事を続けることはできた。何とか頑張ろうと思っていた三月末、突然、社長が個人面接を始めた。
「今なら退職金は払える。今後は保証できない」。希望退職の形だが、事実上の解雇通告だった。社員は三分の一に削減される。求人票を見ながら男性は言った。
「やはり年齢制限が多い。売り上げの大幅なダウンは知っていたが、やる気をだしていただけにショックだ。小学生の子どももいる」
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二十二日、神戸市長田区南部・東尻池町の一角に仮設の屋台村がオープンした。
「周囲の店はほとんどつぶれたが、みんなで元気を出したい」。自宅兼店舗が全壊した食料品店経営の嶋田雄二さん(52)が、避難所で知り合った人らに呼び掛け、うどん、お好み焼きなど五つの店がそろった。
しかし、嶋田さんの元の店の再建にめどは立っていない。仮設倉庫で寝泊まりする毎日だ。「借金があると県や市の制度融資は断られる。当分は安い建物でやるしかない」
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神戸市東灘区の住吉地区には、「神戸靴」と呼ばれる高級婦人皮革靴の製造業者が集まっている。梅本製靴の梅本優社長(59)は、今の状況を野球に例えてこう話した。
「やっと試合ができる状態になった。震災後三カ月はキャンプに入っていたようなもんだ。ただ試合をしたくてもできる場所があるのかどうか」
百年の歴史を持つ小さな地場産業は、六社のうち四社が全壊した。梅本製靴は半壊だったが、仕事場の自宅が全壊した職人が多く、ようやく注文に応じられるところまでこぎつけた。
「神戸靴は生きている、と知らせなければ。しかし、廃業や事業縮小はどうしても出てくる。資金繰りなどで、半年先、一年先が心配だ」
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震災が、産業や雇用に与えた被害の全体像は、いまだにはっきりしない。
神戸商工会議所の三月末までの調査では、被災地の約一万千六百の会員事業所のうち全半壊などの被害は三千八百に及んだ。職員が自転車で回るなど、商議所を挙げて調べたが、まだ連絡がとれない事業所が四百以上ある。
失業した人を示す雇用保険受給者は約一万七千八百人。兵庫県労働部の三月末のまとめだが、二月段階の数字だ。自営業者ら雇用保険に加入していないケースもあり、実際の失業者はもっと多いとみられる。
「被災地の新規求職者約二万人は、広い意味で失業者ではないか」と労働部の梶田洋二次長は言う。
神戸の産業は、中小・零細企業が支えてきた。事業所数は九八%、従業員数でも七三%を占める。家族経営の零細も多い。
「事業を再開できたところには注文が殺到し、忙しい。しかし、通常の競争をしなければならないこれからが正念場だ」。県中小企業振興公社下請振興部の岡田敏男次長は、今後の厳しさを指摘する。
企業の正念場は、そこで働く人たちにとっても、正念場を意味する。「復興へ」第二部は「仕事」の現状を探りたい。
1995/4/25