四月十六日、そごう神戸店が、新館と地下一階の食料品売り場で営業を再開した。ハーバーランドの神戸阪急からおよそ一カ月、大丸神戸店から一週間遅れだった。
午前十時開店。エレベーターから売り場へお客さんが上がってくる。その姿を見た時、社員の田代信男さん(仮名)は、震えを感じた。「いらっしゃいませ」。なじみの売り場で、この言葉を三カ月ぶりに口にする。一日があっという間にすぎた。
震災以降、田代さんの勤務は「自宅待機」を中心に回っていた。
壊れた店内から商品を搬出する仕事は一月末から始まったが、出勤は週に二日ほど。二、三月は自宅待機が三日、休日が二日程度で、週五日は休んでいた。
上司は「自宅待機も仕事のうちと思ってほしい」と話した。だが、家にいるといろいろ会社のことが頭に浮かぶ。
「うちは経営の立て直しの最中。大丈夫かなと思ってみたり、自分より多く出勤している同僚の話を聞くと、気になった」
そんな時は努めて自分に言い聞かせた。「おれは今も会社の役に立っている」
一月の給料日。銀行へ行った妻が、「ちゃんと入ってたわよ」と、弾んだ声で電話してきたことも忘れられない。
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そごう神戸店で働いていたのは計千九百七十九人。震災で同社が取った措置は、四つだった。
(1)社員約三百五十人は西神、加古川そごうなど近隣店舗へ出向する。
(2)三百七十九人のフリースタッフ(パート)は、五月末の契約切れで退職とする。
(3)一日あたり約四百人は、商品持ち出しなど復旧に当たる。
(4)残る八百五十人は自宅待機。
職種の違いはあれ、被災企業が取った緊急措置の基本的なパターンである。
余剰人員を自宅待機にして、給与の六割以上を支払う企業に、国は「雇用調整助成金」で負担の一部を肩代わりしている。その数は、一、二月に二千二百三十四事業所、八万四千三百二十三人に上った。
もともと不況業種を対象にしたこの制度を、労働省は被災地企業に弾力的に運用、県の職業安定課は「多くの企業や店舗が、雇用をなんとか守ろうと努力している」と評価する。
だが、労組関係者からは「自宅待機は、いわば潜在的な失業者。今後の職場の立ち上がり次第では、はじき出されることも十分ありうる」と警戒する声が聞かれる。
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営業再開後、そごう神戸店の自宅待機は、一日五百人に減った。
労使の休業協定で、資格給、職能給、家族手当など基準内賃金の一〇〇%が支給され、高橋貞夫店次長は「今までは、出勤の日数にムラがあったが、平等に勤務をシフト化している」と話す。
だが、待機がいつ解消されるのかは、修復中の旧館がいつオープンできるかにかかっている。
被害総額百十億円。二月期決算で三百六十九億円の赤字。再開で出勤が週四、五日に増えた田代さんも、まだ素直に喜べない気分でいる。
1995/4/27