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(9)商売をやりたい 仮設で再開…断念組も
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 「みんな商売してるときが一番ええ顔しとう」

 四月十一日夜、神戸市北区の自宅でテレビを見ていた小西勝幸さん(26)は、思わず涙をこぼしそうになった。

 画面が映していたのは、その日朝、JR兵庫駅前の御旅センター市場で行われた再開のセレモニーだった。

 市場は全壊したものの、七人の店主らが共同でプレハブの仮設店舗をオープンさせた。一部二階建て約百八十平方メートル。従来の対面販売方式を取らず、セルフ方式を採用した。

 「再開できたんやねぇ」。店主らをなじみ客がねぎらう。仮設店舗組合会長で精肉店経営、白石孝さん(57)は「二年以内に本格的な店舗を建設したい。それまで仮設で頑張りますよ」と力を込めた。

 市場の一角に青果店を構えていた小西さんも仮設店舗への参加を誘われた。だが、資金などを考えた末に断念する。費用は設備費を含め二千七百万円。県・市の補助があるとはいえ、一人あたりの負担は数百万円。回収できるだけの収益を上げられるか、不安だった。

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 神戸・阪神間で、全半壊が三割強に及んだ商店街・市場の震災被害。個人商店主らは、住む所と働く所を同時に失った。

 その後、仮設店舗などによる再開が相次ぐ。神戸市が東灘から須磨まで六区の商店街・市場一万千六百五十店の状況を調べたところ、三月中旬時点で、再開率は半分。調査以降、長田中央小売市場、須磨浦商店街、宮前市場など十の商店街・市場も、共同仮設店舗の設置や建設に動き出した。

 だが、廃業を決断したり、再開に踏み切れない商店主もまた数多い。御旅センター市場のほかの店に聞いた。

 鶏卵店を経営していた川口忠さん(66)と、市場にほど近い避難所で会った。妻の久子さん(64)と夕食の弁当を食べながらぽつぽつ話し出した。「わしら年が年やしなあ、仮設店舗に入って一から立て直して商売はできんわ」

 同市場に店を出して四十年以上になる。「体さえ元気なら商売は七十になってもできたはずや。会社員とちごて失業保険は出えへんし、このままでは日銭が入らんから、市の復旧工事を手伝いにいってる」。道路の補修、ガレキ運搬など慣れない仕事ばかりという。

 六十歳のある店主は「全壊は、店をやめるええ踏んぎりになった」とつぶやいた。周辺には大型スーパーがあり、昨年十月、またスーパーがオープンした。ただでさえ減り気味だった売り上げは大きく落ち込んだ。「このままでは地盤沈下するだけや」。危機感が高まっている折の震災だった。

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 再建策を練る県や市は「震災は商店街・市場を活性化させる機会」との考え方を示す。ある担当者は「乱暴な言い方になるが、活力のない店舗を廃業させるのも一つの活性化だ」とまで言い切る。

 御旅センター市場で、三十三店のうち、廃業を決めたのは六割の二十店にのぼる。

 仮設店舗を断念した小西さんは今、北区の青果店で配達などをこなしている。職探しの後、ようやく店への採用が決まった。「もう一度必ず八百屋になる。そのための勉強や」。自分に言い聞かせるような口調だった。

1995/5/4
 

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