東新ビルは神戸の歓楽街・東門街のちょうど入り口の西側にある。地上四階地下一階建て。支柱にひびが入り、全壊だった。店の前には新しい開店先や連絡先の張り紙が目立つ。
入居していたのは、料理店、スナック、薬屋、酒屋さんなど約三十店。一つのビルに地主が四人、家主が七人いる。
「東門界わいの飲食店ビルは権利関係が入り組んでいる。再建にはその調整が必要だ」。関係者が指摘する代表的なビルである。建築は一九六八年。終戦直後にできた木造の店舗数軒が、共同ビルに建て替えた。
二月初め、テナント二十八人が集まって会を結成、いち早く取り組みを始めた。「元の場所で早く商売を」と、弁護士を講師に借地借家問題を勉強し、家主ごとの役員を決めた。
事務局長の料理店経営、戸田晃さん(42)らが調べると、震災前、ビルに何店が入居していたかも正確には分からない。不動産業者の仲介で別の店主に貸したり、看板だけで実態のない店もあった。
入居の時期で敷金や家賃は大きく違う。建て直すにも家賃によってテナントの足並みが乱れる恐れはある。「今は家主らの意見がまとまるのを待つしかない」と戸田さん。順調にいってもビルの再建は二、三年先になるという。
戸田さん自身の家主は、台湾在住。連絡を取りつつ、この三カ月余り、預貯金を解約して暮らす。当面、商売ができる店を探すが、まだ見つからない。資金には限りがある。再建後の敷金や家賃によって、父親の代から続く東門街の店の撤退も考えないといけない。
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三宮周辺の飲食店は約五千店で、東門街などでは六割が全半壊といわれる。夜のネオンは少しずつ戻っているが、テンポは遅い。
三宮に約千店の会員を持つ神戸民主商工会によると三割が補修で再開可能だが、店を開いているのは一割を超えた程度という。
三宮事務所の石川幹雄所長は「店主らはなじみ客のいる三宮で一日も早く再開したいと思っているが、一番、復興の遅れる業種だ」と指摘する。
三月十六日 三宮の被災ビルの所有者が一階で営業を続けていた店の明け渡しを求める仮処分申請を神戸地裁が認める。
同十七日 「地震を機に追い出すつもりだ」とテナントがビル復旧などを求める仮処分申請。
四月五日 被災ビルの入居者が敷金の全額返済を求める訴訟を起こす。
ビルの権利をめぐる訴訟が相次ぐ。
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四月二十日、東門街のビル五階に十六人の飲食店主が集まった。このビルは補修で済むとみられていたが、三月に全壊の判定が出た。オーナーは建て直す意向という。契約を解除した店主も少なくない。
「建て直すと家賃は二、三倍になる。客からそんな料金はとれない」「まだ使える店もある。解体まで営業させてもらえないのか」「もう入居できる別の店を探すしかない」。すんなりと意見はまとまらない。
会合の後、入居者が入れた電話にオーナーが答えた。「補修で済むかもしれない。その場合は現在のテナントが入れるようにしたい」
予想外の答えに、笑顔を浮かべた人もいた。しかし、結論ではない。気持ちがまた揺れた。
1995/5/5