神戸人材銀行主幹の恒本伊左夫さんは、電話の声に耳を疑った。
「今、神戸やったら安い人件費で人が集まりますやろ」
求人の問い合わせをしてきた大阪市内の企業の人事担当者だった。「そんなわけないでしょう」。強い口調に「それやったらもういいですわ」と電話は一方的に切れた。
「被災地の外では、そんなふうに見てるのですかね」。恒本さんは怒りを通り越し、悲しみすら覚えたという。
人材銀行は、職安と同じ労働省の所管だが、四十歳以上の管理職経験者や技術、専門職を対象に、仕事をあっせんする。震災前に求人を出していた企業のうち、半分近くが三月まで連絡も取れなかった。三月末までには、管理職で四十余りの新規求人が寄せられた。
多くの失業者は今、雇用保険で暮らしている。「企業にさまざまな思惑があるにしろ、求人も増えてくるのはこれからだろう」と、恒本さんは言う。
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職安の光景にも、日を追って変化が見え始めた。
復旧が進むにつれ、求人数は徐々に増え、職種も建設業中心からサービス業や営業職などへと広がっている。職場の回復ぶりがうかがえる。
神戸職安の前では連日のように、保険会社や警備会社の社員が、職安を訪れる人たちに、声をかけている。「求人票を出してもなかなか応募がない。外見で感じのいい人に声をかけていくが、あまり話に乗ってこない」。ある保険会社の社員は、肩透かしを受けたような口調だった。
だが、「求人」の中身はどうだろうか。
「全体に給料が安いですわ」。連休中の五月二日、同職安で会った中田啓二さん(34)=仮名=は嘆いた。
四月いっぱいで書籍販売の会社を辞めた。「人員整理で職場がぎすぎすした」のが理由だった。足を運ぶのは三度目。妻と子供二人抱えて、最低月に三十万円は欲しいと思う。しかし、三十代半ばでは、月給二十万円台が中心だ。
中、高齢者の受け止め方はもっと厳しかった。
「若い者はえり好みせんかったらなんぼでもある。私らぐらいになるとさっぱり」と、六十一歳の元旋盤工。冷凍工場に勤務していた五十九歳の男性は「求人票を見ると、給与より年齢を見る。どんな仕事でもするんだが」と話した。
どの求人も年齢制限がある。五十歳を超えると極端に少なくなる。職種も限られる。求人票から、そんな実態が読み取れる。
「五月に入ると、高齢者の姿がほとんど見られなくなった。対象的にパートの求人増などで、女性の求職者が目立つようになった」と職安の職員は言う。
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四月二十七日、労働省は三月末現在の被災失業者を、三万二千百三十四人と発表した。
被災地の職安に新たに出された求職票の数を示したものだが、二月末から一カ月の間に二万人以上増えた。「今後もまだまだ増加する」というのが、同省の見方だ。
兵庫県内で求職活動中の約二万七千五百人をみると、仕事が決まったのは二千人足らず。就職決定率は、わずか七・三%にすぎない。
中田さんは、情報誌で申し込んだ面接を目前に控えている。「早く仕事が見つかればいいですね」。そう声をかけると、うなずくように答えた。
「今は震災のことを忘れるぐらい、思い切り働きたい気持ちですわ」
(桜間裕章、鉱隆志、森玉康宏、加藤正文、長沼隆之)=第二部おわり=
1995/5/11