■新産業 官民の支援事業 総合力を発揮へ
個人投資家を組織化/地元信金も事業参加
一九九九年八月二十五日、産業復興の大きな柱である新産業創造の推進へ向け、ある組織が発足した。「新産業創造・支援に関する懇話会」。座長の大庭浩・神戸商工会議所会頭は会の趣旨をこう説明した。
「それぞれの機関がベクトルを合わせ、連携しながら、優れた新事業を具体的に世に出していきたい」
「それぞれの機関」とは、兵庫県や神戸市、阪神・淡路産業復興推進機構(HERO)、新産業創造研究機構(NIRO)など。「ベクトル」を強調するのにも理由があった。
「各機関の支援メニューを整理してみると、重複を含めて百を超える施策が展開されていることが分かったのです」。神商議産業部は説明する。
このうち、共同・連携事業として進められているのは、ベンチャースクールや国際技術メッセの開催など三分の一ほど。残る三分の二や、今後の新たな事業展開を交通整理するのが、懇話会の役割。民間経済団体と公的機関の総力結集に向けた論議は緒に就いた。
◆
百を超える個々の支援事業の中には、成果を上げ始めているものもある。例えば、兵庫県が創業期の企業の資金調達面を支援する目的で九六年度に創設した「新産業創造キャピタル制度」。これまでの投資実績は八十二社。新しい広告媒体となる自動車用の静止ホイールキャップを開発した企業や、購入者の意向を反映したマンションの間取りをコーディネートする会社などが育っている。
投資の仕組みは二つ。ベンチャー企業から県中小企業振興公社に提出された申請に基づき、ベンチャーキャピタル会社や民間金融機関と公社が共同で株式などを引き受ける「協調型」と、公社のみの「単独型」だ。
同様の投資制度を持つ各県の九六・九八年度の実績を見ると、兵庫は全国で一位の七十社で、二位の岐阜の三十六社に大きく水をあけている。
ところが、近年、投資のあり方に大きな変化が起きている。制度スタート時には「協調型」がほとんどだったが、昨年度は「単独型」が協調型と逆転し、今年度上半期もこの傾向が続いている。
九七年度後半からの全国的な企業業績の低迷と、貸し渋りに見られる銀行のリスク回避の動きが原因という。「民」がベンチャーを支える当初の姿をどう取り戻すか。県は、地元に密着した信用金庫を十月から新たに同制度に組み入れた。
◆
支援策はさらに生まれようとしている。「エンゼル」と呼ばれる個人投資家の組織化もその一つ。税制の拡充に踏み切る政府の方針に追い風を感じながら、HEROは県内企業の創業者にアンケートを実施し、その可能性を探っている。
技術面の支援も進む。NIROの「技術移転センター」は、中小企業の新しい事業展開を、大企業の持つ技術でバックアップする。幅広い人脈や知識を持つ定年後の技術者らによる技術移転アドバイザーも十一月、八十人に倍増させた。来年度には、新産業創造の種となる技術を県内の大学にも求め、提携を進める。
「震災から十年となる五年後、神戸は復興した、と内外に認めてもらえる姿にしたい」と大庭会頭。震災から五年をかけて整えつつある支援の仕組み。真価の発揮は六年目からの総合力が握る。
■既存製造業/続く苦悩 下請け構造ネックに/新製品を開発、自立の動きも
「震災からの五年間は、厳しいことの連続だった」
被災した中小企業が業務協力などの集団化を目指して組織した「協同組合産団協」。大島孝代表理事はこれまでをこう振り返った。
流通、工業、研究開発などの機能を併せ持つ新しい産業団地として、神戸市が一九九一年に神戸市西区で造成を始めた神戸複合産業団地。産団協はその進出第一号として、九一年に名乗りを上げ、約百四十社が新天地での業務拡張を目指した。
だが、震災直後の九五年七月、中小企業事業団の「災害復旧高度化資金」の認定を受け、協同組合が正式発足した際には七十一社に減少。事業が具体化するにつれて次々と脱落した。
九七年、十四社が組合の共同工場へ晴れて進出。今年六月に完成した新工場でも六社が操業を開始した。来年三月には二社が加わるが、加盟企業は二十二社にすぎない。
参加企業の半減、また半減…。脱落の主因は資金繰り。多くの加盟社が震災を機に深刻な売り上げ不振に陥り、移転費用の返済見通しが立たなくなったり、倒産した。減り続けた企業の数に、夢絶たれた事業主たちの無念さがにじむ。
◆
兵庫県の製造業は、雇用の三分の一、県内生産額の四分の一を占める。しかし震災以降、その基幹産業が苦境にあえいでいる。
「県内製造業は、大企業と、それに依存する多くの中小企業のピラミッド型構造をなしている」。県商工部は兵庫の産業構造をこう特徴付ける。「だから構造転換でトップ企業が厳しくなると、被災地の製造業全体に波及する」
被災地にとっては口惜しいデータがある。阪神・淡路産業復興推進機構は、産業構造が被災地とよく似た横浜、北九州地方をピックアップし、八七年と九七年の十年間の経済成長率を分析した。
企業全体の売上高は、八七年時点で被災地が二十兆五千六百六十五億円、横浜が二十二兆九十八億円、北九州地方が十七兆五千七百五億円だった。
しかし、九七年時点では被災地が二十七兆七千六百八十三億円(二七・六%増)、横浜が三十五兆四千六百三十五億円(五九・七%増)、北九州地方が二十七兆八千八百八十一億円(五六・三%増)となり、この十年間で被災地は、北九州地方に抜かれた。
十年間の売上高伸び率を製造業だけで見ると、横浜が四三・九%増、北九州地方が四二・七%増と拡大しているのに、被災地はわずかに二二・二%増だった。
「製造業の苦境は震災のダメージより、むしろ大企業依存の中小企業の体質変化の遅れにある」。同機構は指摘する。
◆
被災自治体や中小企業も手をこまねいているわけではない。昨年四月に発足した新産業創造研究機構の技術移転センターは、中小の製造業者を対象に新製品開発の相談に応じ、技術者を派遣する活動を始めた。
今年九月末までの一年半に受けた相談件数は約四百三十件。技術者派遣の実績は約二百件に及ぶ。しかし、事業化成功例はまだ一件にすぎない。
「企業が力を付けるには独自の製品開発力と営業力が不可欠。全体の底上げには、まだ時間がかかる」。同センターの園田憲一ディレクターは、相談件数に事業者たちの意欲を読みとる。そして、こう続けた。
「大手企業からの受注を減らされた下請け企業が、新しい販路を求めて新製品開発に力を入れ始めた。自立にむけた挑戦はもう始まっています」
(経済部・原康隆、宮田一裕)
1999/11/17