さくら銀行と住友銀行が合併、世界第二位の巨大金融グループ誕生へ-。十月十四日、ビッグニュースが世界を駆け抜けた。
巨大化する日本の銀行に、驚きと歓迎の声が上がる一方、被災地の中小企業関係者からは「かつての地元銀行は一体、どこへ行くのか」と、不安と動揺の声が聞かれた。兵庫県内で度重なる銀行再編。それに伴う痛手を震災でいやというほど知らされたからだった。神戸市内の会社経営者がそのてん末を、被災企業を代弁するように語った。
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経営者は二十年間、小売業を営んでいた。業績は震災後も順調で、昨年度の決算は三千万円の黒字を見込んでいた。だが突然、銀行が融資を打ち切ってきた。手形の支払いができなくなり昨年夏、自己破産した。
メーンバンクは、震災の年の八月に多額の不良債権を抱えて破たんした兵庫銀行を受け継ぐみどり銀行だった。「今回は無理かもしれません」。宣告されたのは、阪神銀行による救済合併(現みなと銀行)が発表された直後、昨年六月のことだった。
バブル期、銀行に勧められ購入した社屋・土地の評価額は震災後、三分の一まで落ち込んでいた。銀行はその弱みをついてきた。長い付き合いだった支店長は「われわれではもうどうにも。すべて本部の判断です」と申し訳なさそうに言った。
「ようやく軌道に乗ったところなのに」。経営者は無念の表情を浮かべた。
みどり銀行は、合併を前に八万二千五百社の取引先のうち約一割の社から融資を引き揚げた。その影響もあってか、倒産が相次ぎ、昨年、県内では過去最悪の七百八十五件に達した。銀行の破たんが復興に大きなブレーキをかけた。
震災以降、民間の金融機関は被災地にどれだけ金を落としたのか。私たちは、九四年九月末と、九七年九月末の神戸銀行協会加盟四十二銀行の預金、貸出量の推移(神戸市内の本、支店)を比較した。
三年間で、総預金量は五千四百七十九億円増えたが、総貸出量の増加は七百九十億円にすぎない。理由の一つとして、県内二位の貸出量だったみどり銀が約三千二百億円も減らしていた。地域から吸い上げたお金が地域に落とされない循環不良を起こしていた。その後、「貸し渋り」が各行で続く。
震災直後、兵庫県、神戸市が災害復旧融資制度を創設し、被災企業に半年間で約四千二百億円の緊急融資を行ったが、企業再生の力にはなり得なかった。
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震災、不況、金融不安。三つの要素が重なり、被災地経済は停滞から脱しきれない。「緩やかな改善」と判断する経済企画庁とは対照的に、日銀神戸支店は十月末「依然として大底圏内を脱していない」と、県内の景気状況を表現した。
井戸敏三副知事は「地域経済を支え、血液を流すのが地域金融機関の役割。金融不安を通じ、強い金融機関の必要性を痛感した」と話す。甲南大学の山本栄治教授も「今後、金融再編プロセスの中で地域の中核銀行がどう生まれるのか。これからの復興を占う大きな課題だ」と指摘する。
被災企業の意識も変わる。兵庫県中小企業家同友会は七月、地域金融調査会をつくり、金融機関とどう付き合うか、検討を始めた。
「これからは中小企業が金融機関を選ぶ時代。信金、信組を含め、安心して付き合える金融機関を見極める力をつけたい」。同会の栄敏充事務局長は、自衛策の必要性を強調した。
銀行再編、メガバンク化は時代の流れ、では済まされない。その危機感を被災企業が知り尽くしている。
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産業と、それを支える人々の暮らしは、どう復興したのか。震災からのメッセージは今回、経済再生の過程で見えたこの国の現実を追う。
1999/11/17