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1995・1・17から1
 埋もれた記憶 西宮・仁川の地滑り

(1)誓約書 消えぬ惨事の不安 34人の命が奪われた
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被災地に施された地滑り対策の仕組みはよくわかるが…=西宮市仁川百合野町、地すべり資料館(撮影・藤家武)
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被災地に施された地滑り対策の仕組みはよくわかるが…=西宮市仁川百合野町、地すべり資料館(撮影・藤家武)

被災地に施された地滑り対策の仕組みはよくわかるが…=西宮市仁川百合野町、地すべり資料館(撮影・藤家武)

被災地に施された地滑り対策の仕組みはよくわかるが…=西宮市仁川百合野町、地すべり資料館(撮影・藤家武)

 見上げると、階段状に補強された斜面の上で重機が動いている。六甲山系の峡谷から住宅街へと流れ出た仁川の右岸。貯水量八万立方メートルの調整池を造る工事が本格化し始めた。

 〈外部に対して損害を生じた時には誠心誠意、責任を持って、その損害について補償します〉

 着工を前に阪神水道企業団は「誓約書」を、斜面直下の西宮市仁川百合野町と、対岸の仁川町六丁目の両自治会に配った。完成後に起きうる「損害」への補償を明記し、安全な設計や情報公開など六項目を約束した。

 文案は同市が作り、立会人として山田知・西宮市長の印もある。異例の対応を市水道局はこう説明する。「市民の安全を最優先するスタンスで仲介した。あんな惨事があった場所ですから」

    ◆

 一九九五年一月十七日、午前五時四十六分。

 激しい揺れが収まって数秒の後、沢村(旧姓・林)香世さん(32)は闇の奥に地響きを聞いた。二段ベッドの下の段で、とっさに布団を頭からかぶった。

 壁が音を立てて倒れた。押しつぶされたベッドがジェットコースターのように流された。布団を両手できつくつかんだ。

 やっと止まったとき、ベッドの間で身動きできなかった。「お母さん」と、叫んだが、かぶった布団に声がこもった。上の段の妹はどうなったのだろう。

 冷気を左足に感じた。がれきをけったら、男の人の声が聞こえてきた。

 「だれか、おるん」

 三十メートルも流され、砂山となった二軒隣の家の上で救出された。そこまでの記憶は鮮明だ。でも、九年間、それを言葉にはほとんどしなかった。

    ◆

 地滑りを起こしたのは、一九五五年ごろ甲山浄水場の造成時に盛り土した斜面だった。十万立方メートルとされる土砂が十四戸を破壊した。逃れられたのは香世さんら十人だけ。三十四人が犠牲になった。

 地元で「人災」との批判が噴出した。しかし、企業団は「建設当時の資料は残っていないが、法的に問題はなかった」と原因究明に消極的で、被災家屋への補償はしなかった。

 そんな企業団への不信と地滑り誘発への不安を背景に、調整池の工事説明会は紛糾し、七回も開かれた。「子どもの同級生が亡くなった。工事はやめて」と、涙ながら訴える女性もいた。

 結局、誓約書を“担保”に着工が決まった。「どう反対してもやるというから仕方ない」。不満はくすぶっている。

    ◆

 私たちは最初、香世さんたちの家の跡地に建った「地すべり資料館」を訪ねた。昨年秋のこと。館内にはジオラマで地滑り対策が紹介され、わかりやすい。地下水を集めるパイプが地中に張り巡らされ、くいがずらり打ち込まれている。国内屈指の対策とされる。

 しかし、ここで何が起きたのか、うまく想像できなかった。兵庫県や西宮市、阪神水道企業団でもそうした資料は乏しい。

 あの日、埋もれたものは何なのか。私たちは知りたいと思った。

(宮沢之祐、松本茂祥)

2004/1/10

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