足元のがれきの下で、何かがはぜた。中島敬夫さん(48)の背筋に悪寒が走った。「ガスが漏れている。火事になる…」
西宮市仁川百合野町の自宅で地震に遭った。直後、屋根が吹っ飛んだ。気がつくと、がれきに埋もれ、顔だけ外に出ていた。動けなかった。
押しつぶされた車のクラクションが、闇に鳴り続けていた。両親や姉を呼んだが、返事はなかった。やがて近所の人が来てくれた。しかし、右足首に食い込んだ柱と板はびくともしない。
一時間後、煙が立ちこめた。土砂の下でがれきがくすぶり出した。はだしの足の裏が熱くなった。すぐ近くで、爆発音とともに火柱が上がった。
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住民が自然にバケツを持ち寄り、リレーが始まった。水道は断水。風呂の残り湯をくみ出した。
崩れた家から脱出したばかりの野口恵美子さん(47)と二人の娘も列に加わった。関西学院大学の学生も駆けつけた。百人か、二百人か、水を運ぶ数十メートルの列が伸びた。
近くに住む会社経営伊藤京さん(61)は、息子(33)の運転するバイクに二人乗りして声を張り上げた。「消火器を貸してください」。何人もが協力してくれた。
バケツの水は温かかったり冷たかったりした。敬夫さんと、周りでがれきを除去する約二十人に浴びせられた。冷水が心地よいほど、火勢が増していた。息苦しさを訴える敬夫さんに水まき用ホースを誰かがくわえさせた。
土砂を掘ると、炎が噴き上げ、消火器では手に負えなくなった。敬夫さんは声を落とした。
「足は、もうどうなってもいい」
工務店経営の高下(こうげ)広光さん(51)は午前八時すぎ、救出作業に加わった。火に追われ、いったん退いた後、再び敬夫さんの足元に潜り、がれきを掘った。背中の熱さが気になり、周りを見ると、人がいなかったという。
「危ないから、降りて来い」と呼ばれ、言い返した。
「ヘビの生殺しみたいなことは、できん」
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私たちは、救出作業をした人のうち七人に話を聞いた。九年前の記憶には微妙なずれがあった。救出者が退却した回数も定かでない。ただ、大半の人が敬夫さんの懇願を記憶していた。
「僕は息ができる。火が回る前に、先に両親と姉を助けて」
しかし、とても捜せる状況ではなかった。皆が返事に詰まった。
2004/1/14