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1995・1・17から1
 埋もれた記憶 西宮・仁川の地滑り

(8)圧死 その夜、二人に添い寝した
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(下)跡地は今、更地のままだ=西宮市仁川町 (上)中村順一さんの実家は土砂に埋没し、門柱だけ残った(1995年1月22日)。
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(下)跡地は今、更地のままだ=西宮市仁川町

(上)中村順一さんの実家は土砂に埋没し、門柱だけ残った(1995年1月22日)。

  • (下)跡地は今、更地のままだ=西宮市仁川町
  • (上)中村順一さんの実家は土砂に埋没し、門柱だけ残った(1995年1月22日)。

(下)跡地は今、更地のままだ=西宮市仁川町 (上)中村順一さんの実家は土砂に埋没し、門柱だけ残った(1995年1月22日)。

(下)跡地は今、更地のままだ=西宮市仁川町

(上)中村順一さんの実家は土砂に埋没し、門柱だけ残った(1995年1月22日)。

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  • (上)中村順一さんの実家は土砂に埋没し、門柱だけ残った(1995年1月22日)。

 遠く、呼び出し音が鳴り続けた。一九九五年一月十七日、大阪市内に住んでいた医師中村順一さん(38)は、早朝から何度も実家に電話をかけた。実家は西宮市仁川町。母洋子さん=当時(57)=も、祖母あぐりさん=同(83)=も、出なかった。

 心臓外科を受け持っていた病院で、患者の無事を確認し、午後、実家に向かった。渋滞を避け、裏道を走った。西宮市内に入ると、倒壊した家が目に入った。でも、実家は頑丈だからと、不安はなかった。仁川の橋を渡るとき、あったはずの山がないと気づくまでは。

    ◆

 阪神水道企業団甲山浄水場(当時)の東斜面を滑り落ちた土砂は、一瞬にして仁川を埋め、対岸の仁川町六丁目に押し寄せた。三棟が完全に埋没した。そこから男性(82)が一人はい出し、八人が生き埋めになった。

 住民の手作業ではどうにもならなかった。翌朝から自衛隊などが重機を使って捜索し、遺体が次々掘り起こされた。あぐりさんに続き、洋子さんの遺体が見つかったのは夜十一時ごろ。順一さんは体育館で対面した。

 「見ん方がいい」と止められたが、自分で確認した。母の顔はひどく傷んでいた。悔しかった。冷たい手に触れ、涙がとめどなく流れた。

 「目の前に二人の“健康な体”があった」。治療も移植も必要なく、十全に機能するはずの体。なのに、死んでしまえば、もうどうにもならない。医療は何もできない。

 その夜、二人に添い寝した。体育館にはたくさんの遺体が並んでいた。

 「自分の無力を痛切に感じました」

 朝。警察に二人の検視を申し出た。死亡診断書を書いた。死因は「圧迫死」、死亡時間は「午前五時四十六分」。即死は間違いなかった。

 葬儀の前、母の傷を治したいと思った。布団針と木綿糸を借り、縫い合わせた。それが、医師として母にかかわる最初の出来事になった。

 医者になったのを誰より喜んでくれたのは、離婚して、一人で育ててくれた母だった。それなのに-。

    ◆

 一月十七日とは。問うと、順一さんは「ふつうの日」という。その日、特別何かするのでなく、日々しっかり歩みたい。そんな意思を感じた。

 九年。毎月、墓参りをする。結婚し、子どもができた。「医者とは何か」を考え続けたという。そのことには、いずれあらためて触れたい。

2004/1/17

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