九年前。土の中で炎はくすぶり続け、夜が来るたび、闇に赤く浮かび上がった。そこに、親しかった隣人たちが埋まっていた。
阪神水道企業団に勤めていた野口秀夫さん(51)も西宮市仁川百合野町の自宅が地滑りで埋もれ、焼けた。地震後の一週間、地滑りを起こした斜面の上にある職場に泊まり込んだ。そこから見下ろす光景が、仕事を辞めるきっかけになった。
「つらかった」。二人の娘を説得して引き揚げた故郷の鹿児島県で、秀夫さんは語った。高速道路のパーキングエリアの店を任され、生活は安定した。「でも、家族の苦労を考えると、西宮を離れ、後悔している」
地震の話は家でもしないという。しかし、毎年一月になると思う。「生かされた命を大事にしよう」と。
秀夫さんが帰郷したのと同じ一九九五年春、医師の中村順一さん(38)は以前から決めていた大阪大学大学院に進んだ。しかし、志していたはずの最先端医療に、身が入らなかった。
地滑りで母と祖母を亡くした。医師なのに、何もできなかった。離婚してひとり育ててくれた母の期待が自分の励みだったと自覚した。母は死をどう迎えたのか気になった。終末期医療の本をむさぼり読んだ。
移植チームの歯車の一個になるのではなく、患者や家族に共感し、密にかかわれる場を求めた。民間病院へ転進。消化器外科で透析患者を受け持つ。「命を救うのが医者」とはおこがましい。命に寄り添いたい。そう思うようになった。
二歳の長男に伝えたいのは「やさしさ」。言葉ではなく姿で見せたい。
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私たちは取材を進めるうち、住民の協力の大切さと同時に、限界も知った。救助活動だけで命は救えない。
佐々恭二京大教授(地滑り学)は、宅地周辺での地滑りの危険性を探るボーリング調査を進めているが、不動産業者の反対を受けることがあるという。危ないと分かれば、開発に支障をきたす。
三田村宗樹大阪市立大助教授(地質学)は提言する。「土地を購入する側の意識をまず高めるべき。供給する側に情報公開を求めれば、危ない所は売れなくなる」
命を守る。そのことを物差しにして、日々の暮らしを見直す。そういう作業は、九年のうちにどれだけ進んだか。
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暗い広場。秀夫さんの家の跡に立ち、五時四十六分を待っている。静かにみぞれが降り始める。
男性がろうそく二本に灯をともす。揺れる灯に慰霊碑の「やすらかに」の字が浮かび上がる。
合図はないけれど、慰霊碑の前に立つ五人がこうべを垂れ、手を合わせる。
九年の歳月が流れた。
広場に一人残り、凍える手でノートにメモする。いま、男性に聞いた言葉を忘れないように。
〈自分たちは生かされている。そう思います〉
(記事・宮沢之祐、松本茂祥、写真・藤家 武)
=おわり=
2004/1/24