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1995・1・17から1
 埋もれた記憶 西宮・仁川の地滑り

(14)継承 思いやり忘れぬように
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住民主催の追悼コンサートに多くの人が訪れた=1月17日、西宮市仁川百合野町、地すべり資料館
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住民主催の追悼コンサートに多くの人が訪れた=1月17日、西宮市仁川百合野町、地すべり資料館

住民主催の追悼コンサートに多くの人が訪れた=1月17日、西宮市仁川百合野町、地すべり資料館

住民主催の追悼コンサートに多くの人が訪れた=1月17日、西宮市仁川百合野町、地すべり資料館

 昨年十月から始まる西宮・仁川の取材ノートの最初に、そう書いた。

 手紙はケースに入れて慰霊碑の前にあった。子どもの字が見えた。誘惑に負けて読んだ。

 〈あっきんへ おたんじょう日おめでとう! とうとう35さいだね。1つおねがいがあります。いやなゆめをみませんように。おねがい。あっきんならできるよ〉

 死亡者名簿にある二十六歳の秋山聡子さんが、「あっきん」だろうか。送り主はだれだろう。

    ◆

 コスモスは、仁川町に残る更地で満開だった。聞くと、初めて植えたという。呼びかけ人の高橋光子さん(64)に会った。

 地滑りで計八人が圧死した更地には震災後、ニセアカシアや雑草が生い茂った。「怖い」。近所にそんな声があったのが光子さんは悲しかった。家族ぐるみの付き合いだった福田千和子さん=当時(49)=の家の跡だから。コスモス畑の計画を思いつき、協力を呼びかけた。

 根を張った木を掘り起こし、石を除くと、靴や花瓶も地中から現れた。約二十人で種をまいた。

 仁川百合野町に住む光子さんは、資源ごみ回収グループ「ゆりの会」の代表を務め、地滑りの死亡者三十四人の大半と顔なじみだった。二〇〇二年から毎年一月十七日、同会主催で追悼コンサートも開いている。

 春にはレンゲ、夏にはヒマワリも咲かせることにした。「ここに住んだ人、ここで起きたことを忘れないようにしたい。そのために、何かしたいと思っていた人がいる」

 レンゲの種は三十人でまいた。人の輪は少しずつ広がっている。

    ◆

 手紙の主も見つかった。宝塚市に住む辻毬子(まりこ)ちゃん(7つ)。両親が、県立西宮高校で「あっきん」、秋山聡子さんの同級生だった。

 母の摂子さん(35)は、震災の翌年に誕生した娘を、親友の生まれ変わりのように感じた。夫や友人と「あっきん」の話をよくする。毬子ちゃんも自然に親しみを感じ、手紙を書くようになった。

 「あっきんは私たちを見守ってくれてるんよ」と毬子ちゃん。今年も手紙を書いて一月十七日、慰霊碑に置いた。

 「私たちは忘れたくない。娘には人を思いやる気持ちの大切さを伝えたい」。摂子さんの願いだ。

 記憶を継承しようとする人たちがいる。

2004/1/23

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