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1995・1・17から1
 埋もれた記憶 西宮・仁川の地滑り

(3)震災前日 だれもが明日を信じてた
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中島泰江さんが地滑りで亡くなる前、制作した七宝焼
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中島泰江さんが地滑りで亡くなる前、制作した七宝焼

中島泰江さんが地滑りで亡くなる前、制作した七宝焼

中島泰江さんが地滑りで亡くなる前、制作した七宝焼

 一九九五年一月十六日は、連休の最後の日だった。医師の中村順一さん(38)は、母洋子さん=当時(57)=と、祖母あぐりさん=同(83)=とが住む西宮市仁川町の実家に電話をかけた。祖母が風邪をひいていた。

 「薬を持っていくよ」

 小学生のとき、両親が離婚した。母に育てられた。医師を志したのは、「医者という仕事は素晴らしい」と繰り返す母の願いがきっかけだった。

 当時、医療現場に出て五年目。大阪市内の総合医療センターで心臓外科医を務めていた。

 「これから親孝行できる。病気になれば診てやりたい」。医師としての自信が芽生え、そう思い始めたころだった。

    ◆

 順一さんの実家と仁川を挟んで向き合う西宮市仁川百合野町。

 斉藤弓子さん=同(25)=は、一月の結婚式が婚約者の仕事の都合で延期になり、両親との三人暮らしが六月まで続くことになった。弓子さんは婚約者と毎晩のように一時間、電話で話した。

 仁川百合野町には、阪神水道企業団の官舎が三棟あった。その一棟に福田周一さん=同(52)、典子さん夫妻は仮住まいをしていた。長男の家族と暮らす二世帯住宅が神戸市垂水区に建つのを待っていた。十五日に新居のカーテンを選んだ。十八日が典子さんの五十歳の誕生日、十九日が引っ越しの予定日だった。

 典子さんは十六日、隣の官舎の野口秀夫さん(51)方を訪ね、娘二人に「食べてね」と、お手製のたこ焼きを届けた。

 秀夫さんは山登りが趣味で、十五日も大阪・金剛山に登った。妻の恵美子さん(47)は風邪気味だった。十六日、心配した北隣の関西学院大学アルバイト職員、秋山和子さん=当時(50)=が薬を持ってきてくれた。秋山家とは洗濯物もお互いに入れ合うような仲だった。

 十六日夜。沢村香世さん(32)は当時、まだ独身だった。家族で夕食を囲んだ。嫌いなタマネギを、鼻をつまみながら食べたら、母の林ちづ子さん=同(53)=が笑いながら、にらんだ。

 隣家の会社員だった中島敬夫さん(48)は、母つね子さん=同(74)、姉泰江さん=同(43)=にくず湯を入れた。「明日、六時半に起こして」と頼み、ベッドに入った。七宝焼制作が仕事の泰江さんは、深夜まで作業をするはずだった。

    ◆

 だれもが、当たり前の明日を信じていた。

2004/1/12

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