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1995・1・17から1
 埋もれた記憶 西宮・仁川の地滑り

(7)生存者 家族3人は死んだと覚悟
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 西宮消防署北夙川分署のポンプ車41号は、地震の直後に出動し、管内で救出活動をした。移動の途中、バイクに乗った警官に止められた。

 「ごっつい土砂崩れが起きたのに、消防車が一台も来てない」

 41号は西宮市仁川百合野町へ向かう。到着は午前八時十五分。地滑り発生から二時間半後、最初の消防車が来た。

    ◆

 土砂で倒壊した家。家族の写真を収めたアルバムががれきのなかに見えた。

 「埋まってる人がいるのに、取るわけにいかなかった」。家族全員で脱出できた野口秀夫さん(51)は救出作業をし、妻の恵美子さん(47)と二人の娘は、バケツ・リレーで延焼を防ごうとした。

 救出も消火も被災者が取り組んだ。しかし、火は容赦ない。自宅も炎に包まれた。結婚以来十六年住んだ阪神水道企業団の官舎は、娘たちが消火器を集めに走った五分ほどの間に燃え尽きた。

 何一つ取り出せなかった。手元に残ったのは、秀夫さんが脱出直後に履いた登山靴だけだった。

 41号は、断水で放水できなかった。アパートの受水槽の水を引いても、すぐなくなった。水源を探す隊員に、秀夫さんは「上に水がある」と、地滑りを起こした斜面の上にある自分の職場、甲山浄水場に案内した。

 すでに自宅は焼けてしまっていたが、生き埋めになった隣人たちを思い、気が焦った。

    ◆

 救出された沢村(旧姓・林)香世さん(32)のけがは、すり傷程度だった。はだしのまま道端の階段に座った。コートを借りても、体が震えていた。

 「お父さんとお母さんと妹が中にいるんです」。近所の人は、そう何度も繰り返した香世さんの姿を忘れられずにいる。

 右足をはさまれていた中島敬夫さん(48)は救出後、住民が病院へ運んだ。やはり何時間も震えが止まらなかった。

 皮のむけたかかとが赤黒く変色し、足の裏をやけどしていた。歩けなかった。医師に「息が焦げ臭い。食道もやけどしている」といわれた。

 記者たちが病院まで来た。「住民が救出した、いい話だから」と取材を依頼された。

 両親も姉も死んだと覚悟した。「いい話」のわけがなかった。断ろうとしたが、考え直した。財布や靴さえなく、知人に連絡するすべもなく、テレビに出れば助けに来てもらえると思った。

 ラジオが死者の名前を読み上げるのを、ベッドで聞いていた。

2004/1/16

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