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1995・1・17から1
 埋もれた記憶 西宮・仁川の地滑り

(6)バール 命救う道具が届いた
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同型のバールが命を救った=西宮市津門大塚町、西宮消防署
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同型のバールが命を救った=西宮市津門大塚町、西宮消防署

同型のバールが命を救った=西宮市津門大塚町、西宮消防署

同型のバールが命を救った=西宮市津門大塚町、西宮消防署

 道具が必要だった。

 一九九五年一月十七日。西宮市仁川百合野町の住民は、隣人たちを生き埋めにした圧倒的な量の土砂にぼう然とした。それは固く、重かった。

 目の前に動けない中島敬夫さん(48)がいた。火が迫る。なのに、助けられない。何人かが消防署へ走ったが、「ほかでも被害があり、来てもらえなかった」。消防は救出に来なかったと、今でも地元では記憶されている。

    ◆

 近所の男性(33)は、敬夫さんの右足首を押さえている約二十センチ角の長い柱を見て「無理だ」と思った。もちろん、言葉にはできなかった。借りてきた車のジャッキですき間を広げようとしたが、うまくいかなかった。

 工務店経営の高下(こうげ)廣光さん(51)は、のこぎりで柱を切ろうとしたが、土に阻まれた。角材をすき間に入れて押しても、微動だにしない。近くの工事現場から長いロープが持ち込まれたので、角材に結わえた。「声をかけたら、引いてくれ」。約十人に引っ張ってもらった途端、角材は折れた。

 そのとき、長さ約九十センチのバールを手渡された。ロープを結わえ、また引いてもらった。声に合わせて、敬夫さんを引き出す役もいた。「せーの」。足が、抜けた。

 拍手と歓声が起きた。「よかったな」。廣光さんは泣けてきた。

 時間は午前八時半か、九時か。確かな記録はない。直後、あたりは激しく燃え上がった。

 敬夫さんは、抱えられて土砂の山の上に立ち、初めて状況が分かった。両親と姉の死を覚悟した、という。

    ◆

 バールは、どこにあったのだろう。

 私たちは当時いた人たちに聞いてみた。ふつう、民家にはない道具。数人が工務店を営む廣光さんの所有物と思っていた。しかし、廣光さんは消火器を持ってきただけ。

 出所は西宮市消防局の取材の際に分かった。震災の活動記録に、ポンプ車に積載していたバールを住民に渡した、との記載があった。

 手渡したのは、当時、西宮消防署北夙川分署の消防士長だった深谷光雄さん(47)。動けない敬夫さんの脇にまで行った。バールが必要と判断し、車に取りに戻った。消火活動のための水源を探していた深谷さんは「これを使って」と、バールを住民に託したという。

 命を救った道具は、地元にあったわけではなかった。

2004/1/15

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