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出発前に意気込みを語る海洋冒険家の堀江謙一さん=15日午前、大阪空港(撮影・斎藤雅志)
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出発前に意気込みを語る海洋冒険家の堀江謙一さん=15日午前、大阪空港(撮影・斎藤雅志)
神戸新聞NEXT
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 日本時間の27日未明、海洋冒険家堀江謙一さん(83)が、兵庫県西宮市へ向けて米サンフランシスコをたった。1962年、小さな船で太平洋を横断して以来、幾多の海を制してきた超人は「100歳まで現役」と帆を張った。なぜ、また海へ出るのか。体力や年齢に不安はないのか。出発前、そう尋ねると、まるで散歩にでも出掛けるかのように言った。「特別難しいことをするわけではない。健康ならいつでも乗れる。今日にでも出発できますよ」

 白髪に、笑うと目尻が下がる柔和な表情。小柄で「未熟児だったせいか、今でも市販のシャツは袖を切る」。しかし長年洋上で過ごした肌は太陽のエネルギーが凝縮されたように黒く、ぶ厚い手のひらは超えてきた数々の波を物語る。

 大阪市で生まれた。ヨットとの出合いは、何げなく入った関西大学第一高校の部活。訓練は地獄だった。

 合宿では13時間の練習と勉強をこなし、へたると水を掛けられ、起こされた。ロープを引き続け、何度も手の皮がむけた。

 「これまでの航海より、高校時代の方が断然しんどかったかな。自分たちは戦後世代だけど、先輩たちは戦前教育を受けてきたこともあって厳しく絞られた」

 自分以外、同期は全員退部したが、持ち前の反骨心で乗り越えた。気が付けばヨットの虜(とりこ)。卒業を控えた頃には太平洋への憧れで頭がいっぱいになり、海外の航海日誌を読みあさった。

 23歳の時、19フィート(約6メートル)の船で初の横断に挑んだ。「六甲山の岩場で練習している人がエベレストを狙うようなもの」。先輩や仲間からばかにされた。

 出発後、家族は捜索願を出した。パスポートを持たない「密出国」に当たり、大阪海上保安監部(当時)の事情聴取を受けた。それでも実現した。「無謀な変人」は「英雄」になった。

 冒険は続いた。82年、世界一周にチャレンジした際は、海のど真ん中で船が反転。船内に浸水した。「船底には重りがある。いずれ戻る」。怖さはなかった。

 「思ったように風が来ない時もあるけど、良い風に恵まれた時の快感は何物にも代えがたい」。嵐に遭っても、マストが折れても、乗り続けた。

 今回は、直近の航海から14年。60年前とは逆の航路を取る。成功すれば世界最高齢での達成になる。

 これまで以上に特別なトレーニングを重ねたのだろうか。「健康管理以外何もしていない。風を利用するヨットは、ほかのスポーツと違う。体力や筋力はいらない。寝ててもいい。波の揺れは慣れたら揺り籠みたいなもんです」

 話のスケールと、淡々とした口調のギャップに終始あっけに取られつつ、何度も聞かれてきたであろう質問をぶつけた。

 何が堀江さんをそこまで海へかき立てるのですか。

 「ヨットマンとしてのチャレンジ精神がマグマのようにふつふつと積み重なったんです。世界一広い海を小さいヨットで渡る、それだけです」

     ◇     ◇

 出発前の2月下旬、新西宮ヨットハーバーで話を聞いた。つい肩に力が入る24歳の若手記者にも、優しく丁寧に答えてくれた堀江さん。太平洋横断を何でもないことのように語り、聞けば聞くほど偉大な挑戦であることを忘れそうになった。堀江さんが語る「普通」をたどった。(村上貴浩)

【連載一覧】
【中】洋上での生活あくまで自然体
【下】海を切り開いた先達に今も憧れ

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