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地域住民が行き交う参道を眺めるようにたたずむ社殿=神戸市東灘区魚崎南町3
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地域住民が行き交う参道を眺めるようにたたずむ社殿=神戸市東灘区魚崎南町3

 1995年の阪神・淡路大震災後、廃業した酒蔵跡に高層マンションなどが建てられた魚崎郷。その一角にある境内に踏み入れば、手水舎(てみずしゃ)の奥に地元の酒造会社から奉納された多数の酒だるが積まれて並ぶ。また社殿を覆う松の木も目に飛び込む。

 かつて社殿は海岸沿いに立っていたという。証しのように、境内の東側にある大きな松の切り株「神依松(かみよりまつ)」は、神功(じんぐう)皇后を乗せた船を停泊させたと伝わる。雀(ささい)神社と呼ばれた時代もあり、住吉川の西の「雀の松原」にあった記録も残る。

 洪水被害で現在地に移った後も、魚崎のかつての表記「五百崎(いおざき)」にちなんだ五百(いお)神社に変わり、今の魚崎八幡宮神社となったのは明治に入ってからだ。

 酒造会社から寄付された土地に建てられた本殿は、酒造りで栄える町の象徴だった。戦火も免れて築120年を越えたが、地震の揺れなどで崩れ落ち、鳥居や石灯籠も倒壊するなど、境内は足の踏み場もなくなった。

 神社を支えてきた酒蔵も大きな痛手を負った。資金不足の中、再建に向けて始めたのが本殿の手作りだった。近くの寺社や工務店の薦めもあり、2001年に他界した先代の跡を継いだ三谷明正宮司(38)が、不要となった寺社の木材や金具をあちこちから譲り受けた。氏子らと共に組み立て土壁を塗り、3年がかりの末、08年に完成させた。三谷宮司は「みんなの協力でやっと氏神を安心して祭られた」と振り返る。

 その際、参道を通り抜けやすくするため、本殿を西向きから南向きにした。「地域の人が集まってこその寺社ですから」と三谷宮司。

 西日の差し込む石畳の参道。買い物帰りの女性がゆっくりと歩き、子どもたちが駆け抜けていった。(長嶺麻子)

〈メモ〉境内には松尾神社や稲荷神社もある。阪神・淡路大震災でだんじり庫も倒壊したが、だんじり本体は頑丈に作られていたため無事だった。5月4、5日の祭礼では、神社周辺で練り歩きが見られる。

〈アクセス〉 阪神電鉄魚崎駅より徒歩10分。神戸市バス「魚崎八幡宮前」。

【2015年3月19日掲載】

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