神戸市役所の1階に「127番地」と名がつくカフェがある。これには理由があり、実際の居留地には「126番地」までしかなかったが、近くにある店ということで名付けたという。いかにも神戸らしいおしゃれなネーミングだ。
旧居留地内を歩いていると、「○番地」「○番館」という店や看板をよく目にする。これらは適当に付けられたのではない。150年ほど前の区画番号と比較すると、例えば「38番館」という店がある場所はかつての居留地38番地だった。
居留地と指定された場所は、南は海、東は生田川、西は鯉川が流れ、三方がきっちりと区切られていた。
居留地の歴史に詳しい神戸大学名誉教授の神木哲男さんによると、海は現在の国道2号の目前まで迫り、現在の鯉川筋やフラワーロードにも川が流れていた。「未知の外国人が来るため、日本人との接触をできるだけ避けようという意図があった」のだそう。
前回紹介した通り、居留地内は整然と区画されていたが、区画番号を見ると少し不思議な場所もある。
例えば、海岸通の11、12番の横に突然「84番」が現れる。神木さんによると「整備、落札された順に付けられたから」だといい、図面を見る限り、東側はそれらの時期が遅かったと推測できる。
神戸の開港は1868年だが、居留地の全126区画が落札されるまでには5年余りを要し、4回に分けて落札が行われた。
神戸居留地は「東洋一の美しさ」と称され、今でもその名残があるが、実は整備そのものは横浜や長崎よりもかなり遅い。
こうした後れを取ったことが「神戸らしさ」を生むきっかけになるのだが、開港までの興味深い経緯については、次回以降に紹介したい。(安福直剛)
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