♪サイサイサ~イ サイムチク~ ヌディアシバ~
暮れも押し迫る昨年12月7日、JR灘駅(神戸市灘区)から北西約500メートルの住宅街に建つ「神戸沖洲(ちゅうしゅう)会館」。三線の音に合わせ、独特の言葉と節回しが響く。
鹿児島県の離島、沖永良部島の民謡「サイサイ節」。ざっくり訳せば、「酒を持って来い、飲んで遊ぼう」という意味らしい。祝いの席を盛り上げる代表的な島唄だ。
長机が並び、飲み食いしながら円になって歌い踊るのは、島の最北部、国頭(くにがみ)地区の出身者ら約130人。年1回の敬老会は、神戸から約1100キロ離れた故郷をしのび、ルーツを確かめる場でもある。
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奄美群島の南西部にあり、沖縄にほど近い沖永良部島。明治維新の立役者、西郷隆盛の流刑地としても知られる南国の島と神戸とのつながりは、明治後期にさかのぼる。
1905年に創業した神戸製鋼所で島の出身者が働き始めたことをきっかけに、川崎造船所などにも人づてで就職先が広がった。多くの人員を必要とする製造業の現場があり、島の外へと働き口を求める若者がその需要に見合ったことで、沖永良部から神戸へという流れができたとされる。
大正期の19年、阪神、神戸地域に住む出身者らが阪神沖洲会を結成。その後神戸支部が発足し、26年1月、神戸沖洲会として独立した。現在、全国に八つある沖洲会のうち神戸の約3千人は最大で、唯一会館を持つ組織でもある。
その多くは、会館が立つ中央区の宮本通や周辺の大日通、灘区の福住通などにまとまって居を構え、単身の若者は、会社の寮や住み込みで暮らすことも多かった。奄美群島の本土復帰から2年後、55年に島を離れた宮内キヨコさん(85)も、その一人だ。
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「母に恩返しをしたい。その一心でした」
3人きょうだいの末っ子として生まれ、女手一つで育てられた宮内さん。米や砂糖、普段着すら事欠く暮らしを支えるため、中学卒業後に島を離れて三宮のパチンコ店に勤めた。
見知らぬ土地で、島の言葉が通じない。孤独を深める中で、神戸沖洲会の存在を知った。国頭をはじめ集落ごとに35の支部があり、それぞれが総会や敬老会、バレーボール大会を開催。会館近くの小学校との交流もあり、島を離れた若者が神戸に溶け込むきっかけになった。
宮内さんが振り返る。「気兼ねなく方言を使い、特産の黒糖焼酎を酌み交わす。会は、心のよりどころでしたね」
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神戸沖洲会の発足から100年。沖永良部で「きょうだいたち」を意味する「うとぅじゃぶら」として互いに支え合い、遠く離れた神戸で、志を継いで生き抜いてきた出身者の歩みを紹介する。(浮田志保)























