父の思いを受け継ぎ、児童の見守り活動に取り組む伊藤公洋さん(左端)=神戸市北区有野中町1
父の思いを受け継ぎ、児童の見守り活動に取り組む伊藤公洋さん(左端)=神戸市北区有野中町1

 神戸市北区の有野小学校の通学路で、約20年間にわたって子どもたちの登下校を見守り続けてきた伊藤義人さんが、昨年末に86歳で亡くなった。時計を手に街頭に立ち、気さくな人柄で親しまれたその後を継ぎ、長男の公洋さん(53)が街頭に立ち始めた。(池田大介)

 義人さんは、会社員時代から被災地支援や地域活動に取り組むなどボランティアに熱心で、定年後の60代半ばから通学路の見守りを始めた。自宅近くで子どもが巻き込まれる交通事故が起こったことがきっかけ。登下校の時間帯に合わせ、交通量が多い神戸電鉄岡場駅前の交差点に立つようになった。

 当初は警察官に職務質問されることもあったが、毎日立ち続けて地域に浸透した。人当たりがよく、子どもたちに積極的に声をかけた。交差点で立ち話をしたり、頼まれて家まで一緒に付いていってあげたりしていたという。

 時刻を尋ねられることが増え、時計を持参するようになってからは「時計のおじいちゃん」の愛称で定着。自宅は、手紙や似顔絵など子どもたちからのプレゼントであふれた。卒業後もやりとりを続け、台湾へ転校した児童に会いに行ったこともあった。

 「父の生活の中心であり、子どもから元気をもらっていた」。見守り活動を超える信頼関係を築いた姿を、公洋さんはそう振り返る。

 生前、「自分ができなくなったら誰かしてくれないかな」とこぼしていた義人さん。昨年12月、自宅で倒れて亡くなると、公洋さんは父の思いをくんで、今年1月から遺品の時計を手に駅前に立つようになった。

 障害者の職業指導員として働いているため、月に数回ある平日の休みを利用。車の動きに目を配りながら、子どもたちの登下校を見守っている。

 「顔を覚えてくれている子どももいるけど、父のような知名度はまだないです」と苦笑する公洋さん。定年後は、義人さんのように毎日欠かさず見守り活動を続けるつもりといい「2代目『時計のおじいちゃん』を目指します」とほほ笑む。