紙漉きの様子(皆田和紙紙すき文化伝承館)
紙漉きの様子(皆田和紙紙すき文化伝承館)

 「和紙」がユネスコの無形文化遺産に登録されて10年になります。世代を超えて受け継がれてきた和紙は、日本の伝統文化を象徴する存在として世界的に評価されるようになりました。

 しかし、国産楮(こうぞ)を用いた手漉(てす)き和紙は、原料となる楮の国内生産量が減少し、現在では全国で約200戸の農家が細々と栽培するのみで、楮の国内生産量はわずか40トン、生産面積も20ヘクタールにとどまります。その結果、多くの和紙が外国産原料で作られ、文化財の修復にさえ国産の和紙が使えない状況にあります。国産楮の和紙はまさに絶滅寸前といえるでしょう。

 国産楮の危機を受け、兵庫県内でも手漉き和紙の復活に取り組む産地があります。佐用町では、一度は途絶えた皆田和紙の復活を目指し、遊休農地で楮を育て、紙漉き体験や新たな和紙製品の開発を通じた保全と継承に取り組んでいます。古くから屏風(びょうぶ)や障子紙に適した厚紙の産地として知られ、「紙子(かみこ)」の復元にも力を入れています。

 「かげろふの我が肩に立つ紙子かな」

 元禄2(1689)年、春の訪れと旅立ちの喜びを詠んだ芭蕉の句です。紙子(紙衣とも)とは紙でできた防寒着のことで、耐久性と保温性に優れ、軽いことから旅人に好まれました。それほど和紙は丈夫で温かく、また日本人にとって身近な素材でした。

 今日16日は「紙の日」だそうです。明治時代に洋紙の国産化を目指して設立された抄紙(しょうし)会社の制定日に由来します。西洋に追いつけ追い越せと近代化を進める中で、いつしか日本人は和紙の心を忘れてしまったのでしょうか。

 和紙が持つ魅力が再び注目される今こそ、文化と経済の再逢(さいほう)が望まれます。ペーパーレス時代に、和紙の価値を見直してみるのも一興です。