有馬温泉にある秀吉像
有馬温泉にある秀吉像

 戦国時代はいつ頃始まったかというのは諸説ありますが、蓮如が有馬温泉に湯治をした1483年頃から、羽柴秀吉が天下統一した1590年までの約100年間が戦国時代と言えると思います。

 この時代、「〇〇の隠れ湯(隠し湯)」という言葉が生まれました。戦国武将は温泉好きで誰にも秘密にし、自分だけがこっそり利用していた…ではなく、本来の意味は「温泉を制する者は権力を手にする」ということだったそうです。つまり、戦いで傷ついた武士たちを治療する病院としての温泉が必要だったのです。

 日本の各地には火山があり、あちこちで温泉が湧いていましたが、近畿地方には火山がない。つまり温泉が湧きにくい地域です。有馬温泉があり、歴代の天皇や権力者が都から通った温泉地です。天下を取るには京都を制する必要がありますから、有馬は絶対に必要な場所だったと思います。

 1578年、毛利攻めを織田信長に約束していた三木城の城主別所長治が、反旗を翻して三木城に立てこもります。三木合戦の渦中、荒木村重も離反しました。明智光秀や高山右近が村重の居城、伊丹の有岡城に説得に赴くも失敗に終わり、最後は黒田官兵衛が行きますが、幽閉されてしまいます。

 1579年10月、有岡城は落城します。幽閉されていた黒田官兵衛が助け出されましたが、動けないので戸板にのせられ、秀吉の前に運ばれたといいます。その時、秀吉は「有馬温泉で癒やしてこい!」と言ったそうです。官兵衛は現在の有馬玩具博物館の場所にあった「池の坊」で湯治をし、膝関節が治ったといわれています。

 三木城の方は城下町を焼き払って孤立させ、兵糧攻めを行っていました。1581年2月、別所長治が自害し、三木城が開城しました。その時、秀吉は初めて有馬にやって来て、温泉に入って深く眠りこけたといいます。秀吉は官兵衛に有馬温泉を勧めたのに、それまで有馬の湯に入っていなかったのでしょうか? それとも歴史上に記載されていませんが、実はこっそり有馬に来ていたのかもしれません。

(有馬温泉観光協会)