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優勝旗のリボンを手に語る山岡伸一さん。4回優勝した=相生市
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優勝旗のリボンを手に語る山岡伸一さん。4回優勝した=相生市
結成3年目の「陸ペーロンチーム」の集合写真
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結成3年目の「陸ペーロンチーム」の集合写真
2018年のペーロン競漕に出場した「陸ペーロンチーム」(相生ペーロン祭協賛会提供)
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2018年のペーロン競漕に出場した「陸ペーロンチーム」(相生ペーロン祭協賛会提供)

■ペーロン取ったら何が残る

 「これ、ドラをたたきすぎて折れたんや」

 植木業を営む山岡伸一さん(79)=兵庫県相生市=が笑いながら右手の中指を見せてくれた。どこか誇らしげだ。曲がったままで、真っすぐ伸ばせないという。

 山岡さんは造船所の対岸にある相生(おお)地区で生まれた。小学生になると、ドラと太鼓の「ドン、デン、ジャン」のリズムが体に染みつき、木の板を手に同級生と櫂(かい)をこぐまねをしていた。

 念願は20歳でかなった。家業の鮮魚店を手伝っていた1963年、商店の仲間に誘われた。それまで造船所内の社内行事でペーロン競漕(きょうそう)は行われていたが、造船所以外の事業所も出られるようになった。

 靴屋、帽子屋、自転車屋…。40人が白いさらしを巻き、櫂を握って舟に乗った。「魚屋のせがれでもこげる日がきた。それはもう、うれしかったで」

 初めてのペーロン競漕は、こぐほどに腕が重く、呼吸が乱れた。舟べりに膝をぶつけながら、40人が互いの名前を絶叫した。「心で会話しとった」と、山岡さんは懐かしそうに話す。チームは数年で解散し、ペーロンから遠ざかった。

 「今年はペーロンないらしいな」。山岡さんがそんなうわさを聞いたのは87年の2月だった。その前年、造船不況を受け、石川島播磨重工業(現IHI)は大規模な人員削減を決断していた。相生工場は約2千人が解雇や希望退職の対象となり、新造船部門も閉鎖が決まる。造船所チームの参加が危ぶまれていた。

 「相生からペーロン取ったら何が残るんどい!」。当時44歳の山岡さんは3人の子どもの父親になっていた。近所の高校生や消防団員、親戚…。手当たり次第に声を掛け「陸(くが)ペーロンチーム」を結成。代表の山岡さんを含め男女32人が87年に初出場した。市民のクラブチームの参加は初めてだった。

 2000年5月。14回目の出場となった陸ペーロンチームは、900メートルを争う決勝でIHI相生工場と競り合った。300メートルの直線を1往復半。2回目の旋回で突き放した。山岡さんは一心不乱にドラをたたいた。バチを握る右手中指の感覚はなくなり、血が噴き出していた。

 山岡さんの父は戦争で亡くなった。子どもの頃、ペーロン競漕に出た父親の自慢話をする同級生がうらやましく、憎らしかった。「世界一の造船所のまちで育ったことは僕にとって誇り。でもな、どっかで『造船所がそんなに偉いんかい』と思っとった」。山岡さんが遠くを見つめてつぶやく。

 チームはこれまで4度の優勝を経験。市民チームの先駆けとして、山岡さんもドラをたたき続ける。(地道優樹)

【連載一覧】
(1)播磨造船所

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