第5回内国勧業博覧会の全景を描いた錦絵。大鳥圭介が審査総長を務め、近代化へ導いた(上郡町郷土資料館提供)
第5回内国勧業博覧会の全景を描いた錦絵。大鳥圭介が審査総長を務め、近代化へ導いた(上郡町郷土資料館提供)

 明治政府で要職を務め、日本の近代化に道を開いた大鳥圭介(1832~1911年)。最新テクノロジーなどで未来社会のあり方を提案する大阪・関西万博に合わせ、出身地の上郡町が、西洋の技術に通じた工学者としての功績に光を当てようとしている。「プレ万博」とも位置づけられる内国勧業博覧会では運営に携わり、産業発展の礎を築いた。今秋には関連の特別展や講座が予定され、資料の保存と継承へ電子化も進むなど、再評価の動きが広がる。(佐藤健介)

 江戸幕臣として戊辰戦争に臨んで明治維新政府軍に敗れたが、その博学ぶりと有能さから政府に迎えられた大鳥。工部大学校(現東京大学工学部)初代校長を務め、工業の普及に向けて学生たちと雑誌「工業新報」を発行した。食品、鉄道、紡績など幅広い分野の知識を紹介し、東京駅を建築した辰野金吾や、消化酵素を発見した高峰譲吉ら日本の産業を背負う人材を輩出した。

 欧米列強が国の威信を懸けた万国博覧会をモデルに、日本の殖産興業を図るため、工業、農林、観光などの各分野で技術力を競う内国勧業博覧会では、企画や出品作の審査に従事した。出展品の解説書を作り、原理や仕組みをわかりやすく説明し、技術や発明を国内に広めた。