降り注ぐ光は温かくて、やわらかい。だけど、胸を締め付けもした。
1995年12月、第1回ルミナリエ。回廊の入り口で吉川景子さん(55)=神戸市須磨区=は、涙が止まらなくなった。「私だけごめんね。一緒に見たかったね」。暗く冷たい部屋に寝かされていた親友のことを思い出していた。
29年前。阪神・淡路大震災が起きたとき、吉川さんは神戸市垂水区の団地に家族と住んでいた。大きな揺れ。親戚に無事を知らせようと受話器を持つ。懐中電灯に照らされたその手元は震えていた。
水やガスは止まったままだったが、電気は間もなく通じ、テレビもついた。横倒しになった阪神高速の映像が映し出される。えっ。嫌な予感がした。友だちの顔が頭に浮かぶ。「ここ、私の家やねん」。教えてもらったのは、このあたりじゃ…。東灘の自宅に何度も電話をかけたが、つながらなかった。