損害賠償を求める訴訟を起こした初田毅さん(左)と妻の美千子さん=26日午後、神戸市中央区橘通1
損害賠償を求める訴訟を起こした初田毅さん(左)と妻の美千子さん=26日午後、神戸市中央区橘通1

 兵庫県明石市魚住町の精神科病院「明石土山病院」に入院していた初田竹重さん=当時(50)=の死亡は、長期間の隔離と病院側の不注意が招いたとして、加西市の両親が26日、病院を運営する医療法人社団正仁会に約5700万円の損害賠償を求めて神戸地裁に提訴した。

 訴状によると、竹重さんは統合失調症で2019年5月に医療保護入院が決まり、翌6月に隔離が始まった。21年4月14日、隔離室内で倒れているのを病院職員が発見して死亡が確認された。のどや気道、気管に多量の食パンが詰まり、死因は急性窒息死だった。

 遺族側は2年弱もの隔離は、法令が定める「医療又は保護に欠くことのできない限度」に該当しないと主張。薬物療法で食べ物を飲み込む力が弱まり、誤嚥するリスクの高い食パンを漫然と提供したことなどが死亡につながったとした。

 診療録などによると、少なくとも隔離から約3カ月後の19年9月26日以降、1年半はほぼ終日にわたって隔離され続け、本人や両親は「隔離室から出して」と何度も求めていたという。

 提訴後に会見し、元兵庫県精神福祉家族会連合会理事でもある父の毅さん(81)は「一生懸命治療をしてもらっていると信じていた。二度と息子と同じような人が出てほしくない」と訴えた。

 病院側は「取材には対応できない」としている。

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 両親のコメントの要旨は次の通り。

■父の初田毅さん(元兵庫県精神福祉家族会連合会理事)

 約2年弱の隔離が、息子を死に至らしめたと考えている。医者を信頼し、一生懸命、治療をしてもらっていると信じていた。

 しかし隔離室の生活が1年になり、あまりにも長いので心配になり、「みんなと一緒に生活できるようにしてほしい」「1年たっても良くならないのはどういうことか」と何度も病院に尋ねたが、「落ち着かない、病院から出ようとする、扉をドンドンとたたく」などの理由で隔離は続いた。

 隔離が2年近くになり、加西市の障害者窓口にも相談をして、加西市職員や保健所職員らと一緒に病院に現状確認に行く予定を立てた直後に亡くなった。

 隔離室は鍵のかかった小さな部屋。柵があり、食事は小さな窓から差し入れをされる、まるで動物園のおりのような部屋。寝具とトイレしかなく、テレビもなく、私物も持ち込めない、何もない部屋だった。息子は「加西に帰りたい」「ここから出して」と必死で訴えていた。患者を隔離してもまともな医療ができないと思う。患者は人との関係によってのみ修復されると思う。第2の初田竹重を出さないために頑張りたい。

 ■母の美千子さん

 2021年4月14日午前11時過ぎ、夫から「竹重が死んだ」と言われ病院に駆け付けた。寝袋に入れられた竹重は、さみしそうな顔をしていた。

 徐々にわかったことは、朝食のパンがのどにつまり、看護師が気付いた時には心肺停止だったこと。死亡推定時刻は午前7時25分だが、発見されたのは午前10時ごろ。膳を下げた人も気付かず、巡回の看護師も来ず、苦しんだのか苦しむ間もなかったのか、誰も何もわからず、放置された。見殺しされた、死を防げたのではないか、という思いが強くなってきた。

 息子と最後に電話で会話をしたのは亡くなる5日前の4月9日。「お母さん、久しぶりやな」と落ち着いた声にひと安心。「みんなどうしてる? 元気にしてるか?」と聞かれ、「元気やで」と答えて夫に電話を代わった。

 「お父さん、なんで迎えに来てくれへんの」「お父さんが言ってくれないと。誰も聞いてくれない」と言った。迎えに行くことを約束して電話を切った。今日来てくれるか、明日来てくれるかと待っていたに違いありません。

 竹重は自慢の息子だった。トラクターに乗ったり、肥料をまいたり、草刈り機を使ったりと、仲間と精を出していた。朝のまぶしい太陽を見ることもなく、雨の音、風の強弱を感じられる部屋ではない隔離室では、明けない夜が永遠に続いていたのではないか。息子の無念を晴らすために、提訴することにしました。