1995年1月17日は、菓子メーカーの「ブルボン」(新潟県)にとっても忘れられない日になった。新規参入を2カ月後に控えたミネラルウオーターの生産初日。阪神・淡路大震災の一報を受け、山形県にある工場でのストック製造計画を急きょ、救援物資に切り替えて輸送した。震災後、西日本の拠点を神戸に置くきっかけにもなった。(井上太郎)
■関東大震災機に創業、「災害に向き合う」DNA受け継ぐ
■ミルクを作りたい 赤ちゃんを抱え、涙目で並ぶ母親
■被災地での声もヒントに500ミリリットル大量生産
ブルボンは23年の関東大震災で、地方への菓子供給がストップした窮状を見た吉田吉造がビスケットの量産を決意したのが始まりだ。「『迷ったら災害時に役立つ事業を選ぶ』というDNAが受け継がれている」と、阪神・淡路当時は常務だった吉田康社長(69)。社会貢献事業の柱として参入を決めたのが、ミネラルウオーターだった。
生産初日の95年1月17日。3月の発売を目指し、まずはストックを作る計画だった。しかし震災の発生を受け、国に相談し、救援物資の製造に切り替えた。
関西の営業担当だった宝島哲央さん(68)は、本社のある新潟から電車で京都へ。そこからワゴン車を運転し、翌朝、明石市の出張所に到着した。倉庫にあるビスケットなどの菓子をトラックに積み、神戸市内の避難所に運んだ。物資は全く足りていなかった。