聞こえず、話せず、苦しかった-。阪神・淡路大震災で、ろう者の山村妙子さん(90)=神戸市灘区=は同市東灘区の自宅にいて被災した。近くの液化石油ガス(LPG)タンクからガス漏れ事故が発生し、避難命令が出ていても分からず、警察官から地面に書いて教えられた。避難所では救援物資を配っているのが分からなかった。手話のできる人がいないため、情報が入らず、周囲と満足に意思疎通できなかったという。当時の体験を、手話通訳者を介して聞いた。(斉藤正志)
山村妙子さんは神戸市出身。4歳の時のけががきっかけで、聴覚に障害を負った。
11月下旬、同市灘区の社会福祉施設で取材した。快活で朗らかな印象だった。
30年前の震災について聞くと、手話でこう話した。
「何が起きているのか分からない。言いたいことも伝えられない。本当に悔しかった」
そう言って顔をしかめた。
■手話が見えず、手に「ガラス」と書いた
当時は、ろう者の夫、賢二さんと一戸建て住宅で2人暮らしだった。
妙子さんは2階で寝ていて、激しい揺れに遭った。