1995年3月、日比谷線・築地駅入り口付近の路上で手当てを受ける地下鉄サリン事件の被害者
1995年3月、日比谷線・築地駅入り口付近の路上で手当てを受ける地下鉄サリン事件の被害者

 1995年3月20日にオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生する数カ月前、警察は猛毒のサリンの大量散布を想定し、強制捜査を波状的に実施し危険を除去する「山下計画」を立案していたことが分かった。刑事警察のトップ、警察庁刑事局長を務めた垣見隆氏(82)が神戸新聞の取材に証言した。この奇襲が実現すれば14人が死亡した事件を防げる可能性があったが、警察内部の「温度差」もあって結果的に凶行を許した。(田中伸明)

 計画の発端は、8人が死亡した1994年6月の松本サリン事件の約1カ月後、警察庁で開かれた事件検討会で長野県警が報告した「オウム真理教がサリンの原材料を大量購入している」との情報だ。

 さらに89年11月の坂本堤弁護士一家失踪事件(後に殺害が判明)を捜査する神奈川県警から「教団はサリンなど化学兵器に強い関心を示している。松本の事件に関係しているのでは」との報告も上がってきた。