震災時を振り返る長谷川利恵子さん。日記には当時の写真を張っている=神戸市東灘区
震災時を振り返る長谷川利恵子さん。日記には当時の写真を張っている=神戸市東灘区

 6434人が犠牲になった31年前の阪神・淡路大震災では、10万棟を超える建物が全壊した。兵庫県内で最大32万人近くが避難所生活を強いられ、断水は126万6千戸。多くの住民の日常が壊れた。「もっとつらい思いをした人はたくさんいる。自分が経験を語ってもいいのか」。住んでいた集合住宅が全壊した女性は悩みながら語り部の活動を始めた。当時は妊娠8カ月だった。(上田勇紀)

 1995年1月17日未明。神戸市東灘区のパーソナルトレーナー、長谷川利恵子さん(61)は、阪神青木駅(神戸市東灘区北青木3)近くにあった集合住宅7階の自宅で就寝中、激震に襲われた。

 たんすが二つ倒れたが、ぶつかり合って止まり、わずかな隙間ができて無傷だった。おなかの子も無事で、隣で寝ていた夫もけがはなかった。

 「声は出ない。とにかくおさまるまでは、夢の中。はやくおさまって! 長い。まだ? ゆれる、おちる、こわれる」