激震地では家族や知人との連絡手段がなくなり、仮設電話は安否を伝える人たちでごった返した=1995年1月18日、神戸市長田区、蓮池小学校
激震地では家族や知人との連絡手段がなくなり、仮設電話は安否を伝える人たちでごった返した=1995年1月18日、神戸市長田区、蓮池小学校

 1995年の阪神・淡路大震災では、神戸市など激震地で電話が不通となり、多くの人が家族や知人の安否を確認できなかった。西宮市の会社員松村真弓さん(48)もその一人。震災当日は高校の修学旅行で長野県にいて、神戸市須磨区に住む家族の無事は翌日夜まで分からなかった。「地震に遭っていなくても怖かった」。不安だった時間は31年たっても忘れられない。